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海彦、山彦の食卓

五島列島編


 夜の海を堪能した翌日、今度は真昼の海に向かう。快晴の青空の下少しずつ海底をさらけ出す春の海。浅くなった船溜まりを覗き込むと昨晩とは違う蟹の姿が見えた。ずんぐりした体に毛深い爪の藻屑蟹だ。旬の冬場になれば最高に美味い蟹である。美食の代名詞でもある上海蟹の仲間だからそれもそのはず。捕まえたい気持ちを抑えつつ入り江をぐるりと回ることにした。

 砂浜と磯が交互に続く静かな海辺は春の日に満たされて気持ち良い事この上ない。おおっ、前方で何やら探す海彦を発見。バケツの中を覗いてみるとアサリに混じってなんとアナゴが入っているではないか。

 「いやあ、さっきあっちの岩の方でさ、貝ば採りよったらこいのおったとさ」

 思いがけない獲物に海彦も嬉しそうである。一緒にいた奥さんもアサリを掘りながらニコニコしていた。

 狩猟採集という行為は実に単純で素直な喜びを与えてくれる。昔は身近に河口や遠浅の浜があった。潮さえ引けば子供でも年寄りでも何らかの恵みを得ることが出来たのである。

 それが高度経済成長の頃から浅瀬や干潟は不要なものとみなされ抹殺され続けた。そのうちそこに住む人にとっても浅瀬や干潟は身近な存在ではなくなった。つまりそこから誰も食べ物を探そうとしなくなったのだ。食べ物は基本的に買う物になってしまった訳である。レジャーとしての潮干狩りは狩猟採集とは程遠い。管理された潮干狩り場の大漁は決してリアルではないのだ。

 色々な事を考えながら歩いているとお腹が空いてきた。そろそろ五島の海の恵をいただくとしよう。海彦の家で昨晩と今朝の獲物を料理してもらった。小さいながらも甲イカは甘くてつるんと喉に飛び込む。ガザミは今ひとつ実入りが悪いが甘くて美味しい。小さな磯の蟹もなかなかのお味である。海草やフジサン(シッタカ、ボベ)と呼ばれる貝も五島産は大きくて良い出汁が出る。いや、海岸を歩くだけでこんなに多種多様な食べ物が手に入るとは驚きである。秋になればここにイイダコも加わる。このイイダコの灰吹き漁もかなり面白い伝統漁である。西海の海、恵あふれる優しい母である。

>> 田中康弘 <<
1959年、長崎県生まれ。大学卒業後、カメラマンを志し、現在西表島から知床までの津図浦々を取材に飛び回る。「マタギ」をライフワークに、秋田・阿仁またぎの不肖の弟子を自称。
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