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究極の地魚編


 いつ頃から“地”魚になったのだろう。少なくとも子供の頃はその様な言葉は無かった。いや田舎では今もあまり使わない。ところが東京発のマスコミ語にはやたらこの“地”○○が溢れている。“地”魚を筆頭に“地”粉、“地”油、“地”醤油、“地”味噌。そのうち“地”水や“地”空気なんぞも出てくるのだろうか。

 この“地”が付く言葉で昔からあるのは“地”酒だろう。文字通りその地の酒という意味だ。だから当然行った場所で飲むから“地”酒というわけで取り寄せは“地”酒ではない。同じように新宿の店で「富山の地魚入荷」なんぞという看板を見ると暫く立ちつくしてしまう。恐らく遠洋ではない近海物を“地”魚の意味だと勘違いしているのだろう。

 確かに“地”魚は美味い。何と言っても鮮度が違う。遙か彼方から途方もないエネルギーを費やして持ってきた物とは訳が違うのだ。いくら冷凍技術が進もうが目の前で捕れた魚に絶対に勝てる訳がないと私は思っている。

 子供の頃はよく釣りに出掛けた。今の様なスポーツフィッシング等という猪口才な…いやお洒落な言葉はなく今日は市場で小エビでも買って餌にするか、金が無いからゴカイを掘るかといったような典型的へぼな釣りである。

 しかしこれがどうして侮れない。ハゼに始まり、キス、アラカブ、カワハギ、鯛、チヌ、ベラ、コチ、シマイサキ、メバル、イイダコ、グレ等々。大きくはないが何が釣れるか解らない面白さがあった。水は綺麗だからその魚体の美しいこと。白砂に群れるハゼは目が青緑色で体もシロギスのように輝いている。鯛は小さくとも一人前の引きで楽しませてくれるし、まるでゴミが引っ掛かってきたのかと思わせるイイダコのワクワク感。そして何と言っても間違いのない“地”の魚を自分が手に入れるというこの贅沢さ。一切れ数万円のマグロより価値がある。ただし何を釣って帰っても全て煮付けにしかならなかった。大きさも関係あるのだが母親が煮付け専門だったからである。昔の人は焼き物、揚げ物などと多士済々なメニューなど考えない。一番楽で汎用性の高い煮物、これがやはり和食の原点であり王道なのだ。もっとも子供には実に退屈極まりない話で煮物の良さが解るまでには更なる人生経験が必要となるのである。

>> 田中康弘 <<
1959年、長崎県生まれ。大学卒業後、カメラマンを志し、現在西表島から知床までの津図浦々を取材に飛び回る。「マタギ」をライフワークに、秋田・阿仁またぎの不肖の弟子を自称。
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