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完全地物料理


 今や“地”にはブランド力が宿ったようだ。やたらに“地”を冠した商材が増えた。昔は“地”が付くのは酒くらいであったが今や、魚に野菜に米に塩味噌醤油、果ては水まで“地”が付く始末。新宿の居酒屋で「富山の地魚入荷」なる看板を見たときは口あんぐりである。富山で富山湾の魚を指せば勿論“地物”である。しかし新宿に持ってくればそれは富山産の魚ではないか。決して頭に“地”は付かない。

 山菜の殆どは地産地消だ。生が出回る期間は短くてせいぜい二週間程度。あとは塩蔵などの加工品で次のシーズンまでつなぐ。新鮮な山菜に出会う事は実は簡単では無い。

 そんな旬の山菜を贅沢極まる完全地物料理にしてみた。

 先ずは材料であるがこれはマタギと新緑真っ盛りの山に採りに行く所から始まる。マタギと言えば熊猟のイメージが強いが実は山菜、茸と山の幸なら何でもござれ、彼らこそ日本最強の山彦なのだ。

 春ゼミの声を遠くに聞きながら森に分け入る。まだ下草は新緑で可愛い。これがもう少し経って手強い壁の様になるとそう簡単に森には入れない。がさがさと若草の香り漂う中に入る。これだけでも結構な贅沢。上からも下からも溢れる森のエネルギーに包まれる。

 さて目指す山菜はと目を凝らすがどれが山菜でどれが毒草か素人には皆目解らない。そんな中からひょいひょいと食べ物を取り出すマタギの早業。あっという間に五人分ほどの山菜を収穫。地元ではアイコと呼ばれる山菜だ。同時にヒデコと呼ばれる山菜も採ったがこれはアスパラの仲間らしい。アイコさんにはトゲがある。迂闊に素手で触るとガラス繊維の様なトゲがちくちくと結構痛い。ヒデコさんは柔らかくて優しい。

 ちくちくアイコさんを一口大に折って皮をつつーっと剥く。それを沢水でさっと湯がいて味噌炒めにすると美味いのだが今回は鍋料理。先ずはマタギが捕った熊の肉を鍋で炒める。次に熱が通った熊肉を沢で軽く洗う。これにより獣臭がかなり消える。

 「都会の人にはその方が美味しいのしゃ」

 流石シェフマタギ、なかなかの配慮である。沢水で煮込んだ熊肉が軟らかくなったら先程採ったアイコさんを入れて暫く火に掛ける。味付けは実にシンプル。酒と味噌と醤油。こまめに味を見ながら調理して出来上がり。

 水から始まり全ての食材がその場産、手前味噌を使って自分が獲った熊と山菜。たった二種類の具でどんな三つ星レストランにも負けない鍋(三つ星に鍋は無いか)の出来上がり。そして食す環境は間違い無く都会のレストランより格段に上。これで不味いはずがない。最高の“地”料理はその場でしか食べられない物なのである。

>> 田中康弘 <<
1959年、長崎県生まれ。大学卒業後、カメラマンを志し、現在西表島から知床までの津図浦々を取材に飛び回る。「マタギ」をライフワークに、秋田・阿仁またぎの不肖の弟子を自称。
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