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「男爵」と「メークイン」が国内二大品種


 じゃがいもの名称は、インドネシアのジャガトラ港(現在のジャカルタ)を東洋貿易の拠点としていたオランダ人によって1600年ごろに長崎に伝わったことから呼ばれていた「じゃがとらいも」「じゃがたらいも」が転じたものだといわれています。当時から「じゃわいも」「おらんだいも」などの別称があり、地中での実のつきかたが馬の首につける鈴の形に似ていることから「馬鈴薯(ばれいしょ)」、年間に2〜3回収穫できることから「にどいも(二度芋)」「さんどいも(三度芋)」などと呼称され、じつに多くの呼び名を持つ作物といえます。伝播当初は芽が有毒ということで、白い花を観賞するための植物でしたが、やがて芽を除けば冷害に強い無毒な救荒作物になることが判明すると、飢饉対策の一環として栽培が推奨されるようになりました。とくに甘藷(さつまいも)が育ちにくい寒冷地域では、じゃがいもは貴重な備蓄食料として重宝されました。しかし、本格的にじゃがいもの栽培がはじまったのは、明治時代に北海道開拓使によって欧米から優良品種が導入されてからです。1884(明治17)年の大凶作の際、明治政府が『再植馬鈴薯の記』というパンフレットを作成して栽培法や調理法を広めたのを契機に、その優良な保存性や栄養面が脚光を浴び、じゃがいもは全国的に普及していきます。とくに気候や風土が適した北海道では、函館ドッグの社長だった川田龍吉男爵がアメリカから導入した品種を大々的に栽培し、川田男爵の名前にあやかった「男爵いも」が名産物として定着していきました。現在では、その10年後に導入された「メークイン」とともに、国内二大品種としてじゃがいも収穫量の大半を占めています。

原産地は南米アンデス山脈


 じゃがいもはナス科の植物で、原産地は南米アンデス山脈のチチカカ湖周辺だといわれています。ペルーやチリの古代遺跡から発掘された土器にじゃがいもの模様が描かれていることから、南米では紀元前からじゃがいもの栽培をしていたのではないかと推測されています。13世紀に興ったインカ帝国では、じゃがいもは重要な食用作物として人びとの生活を支え、文明の発展に寄与していたようです。16世紀にスペイン人の征服者によってヨーロッパに持ち込まれますが、当初は芽に毒があったので食用としては敬遠され、おもに観賞用として栽培されていました。18世紀ごろドイツのフリードリッヒ大王が、1618年からの三十年戦争によって毎年起こっていた飢饉対策として、荒廃した畑に食用として強制的にじゃがいもを植え付けるよう命じ、ドイツ国民の飢えを救済しました。このことが契機となって、じゃがいもは貯蔵可能なでんぷん作物としてヨーロッパ全土で盛んに栽培され、現在では世界の四大食用作物(小麦、水稲、とうもろこし、じゃがいも)と呼ばれるほど普及するまでになりました。

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