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塩蔵輸入食品について


 昭和30年代、東京の下町に生まれ育ったものにとって横浜は外国人が日常的に街に溶け込んだ、しゃれた都会というイメージが強い。洟垂れ小僧が足を向けられないような大人の街、垢抜けたセンスあふれる街、それが長年持ち続けてきた横浜の印象である。長じて中華そばは日本的な食べ物だったことに気づかされたのも、横浜中華街の店だったように記憶している。


 氷川丸が係留されている山下公園、横浜港を一望できる港の見える丘公園、外人墓地、デートコースに家族ずれの行楽に、横浜は必ず一度は訪れる街である。

 氷川丸のすぐそばの埠頭に何棟もの倉庫が立ち並んでいる。今回その倉庫を視察する機会に恵まれたが、にぎやかな通り一本裏にある闇の世界を見たような気がした。


 倉庫のある場所は横浜税関・横浜港で輸出入品の集積場所である。

 倉庫の立ち並ぶこの場所は海外向けに周辺各所から集められた中古の建設機械、バスなどが野ざらし状態で置かれ、見るからに殺伐としている。遠くにランドマークタワー、手前に山下公園を望むこんな至近距離に、産業廃棄物捨て場のような風景が目の前に広がっている。構内には「ここはゴミ捨て場ではありません」というたて看板が立っていた。


 広い敷地に緑色のドーム型簡易テントがいくつも建っている。そして災害などの被災地でよく見かける簡易テント周辺には手榴弾によく似た形状のポリ容器がパレットに並べられ、何層にも積み上げられている。

 テントは扉もなく内部の温度は外気温と変わらず、かろうじて風雨、直射日光から木箱に入った品物を保護しているだけである。

 驚くべきことに、テント内の木箱、野積みされているポリ容器の中身はすべて、私たちが日常食べている、ありとあらゆる輸入食材だ。

 手元のメモから具体的な食材を書き出してみる。一つ目のテントならびにその周辺のポリ容器のなかにはナメコ、蕗、蕨、ぜんまい、菜の花、タラの芽、竹の子、細竹、茗荷、ラッキョウ、生姜、ニンニク、なす、キュウリ、わさび菜、梅干など漬物用となる食材が中心だった。

 短時間のなかで3つのテントを見て回り、その間に立ち話で説明を聞き、メモを取る忙しさで、食材のほんの一部しか書き出せなかった。

 そして、説明を受けている間、遠巻きに公安の係官がわれわれを監視している。原則写真撮影は許可されていないので、公安係員の目を盗みながら、デジカメのシャッターを切った。木箱の中身は空けてみることはできなかったが、野積みされたポリ容器は蓋をはずして中身を見ることができた。ナメコ、蕗のほか1〜2品であるが、厚手のビニール袋に入ったこれら山菜類は色、形いずれも外見はスーパーで売られているものと変わりがない。しかし、ポリ容器のなかの温度を手で触ってみると炎天下のせいで人の体温以上に温度があがっていた。いくら高濃度の塩分に漬け込み、鮮度を保っているといっても限度というものがある。このままの状態で数週間、いや数日でもなかの食材は傷み、腐らないかと考えるのはしごく当然である。一般的に原産国から送られた食品は日本に到着して、通関手続きが終わるまでに約10日はかかるといわれている。

 しかし、説明員によると保管期間は3年から数年はざらだというから、驚きである。温度を確かめた自分の手をそっと舌で舐めてみた。予想に反して全く塩辛さはなかった。どんな強力な防腐剤、漂白剤を使用しているのだろうか。山菜そばの山菜が実は数年前にこの場所に野積みされていたものかと思うと、背筋に冷たいものが流れる。


 塩蔵輸入野菜の約6割がここ、横浜港に運び込まれてくる。品目によって輸入先は異なるが、大半が中国産と考えてほぼ間違いない。そして塩蔵輸入野菜は輸入業者から業務用加工食品の材料として全国各地の仲卸業者に売られていく。買い付けられた品目と買い取り先の関係はトラックのナンバーを見ると妙に納得してしまう。

 そば粉、わさび菜を引き取るトラックのナンバーは長野、落花生や菜の花は千葉、キャベツは群馬、蕨は新潟、福島、岐阜など数県にわたるという。

 観光地のみやげ物店に並ぶ水煮の山菜、漬物などが安い値段で、大量に出回っているが、それだけの量が果たして地元の山で採れるのかどうか、にわかに疑わしい。最近流行の激安ツアーに供される旅館の料理の山菜は、本当に地元産なのか、疑いだすときりがない。

 こうしたことから“横浜港はふるさと産品のふるさと”と自嘲をこめて呼ばれているという。


 二番目のテントのなかには元町中華街用の食材が保管されていた。中華食材としておなじみのザーサイ、春雨、竹の子、マンゴープリン、千両ナスなどの名前が木箱に表示されている。千両ナスの木箱には「ヘタカット・たて4分の1カット」の文字が読める。調理しやすいように現地で手が加えられたものと推察される。そして最も驚いたのは「おこげ」である。一時期中華料理の人気メニューになった、おこげ料理のおこげそのものまでもが中国からの輸入品だった。そういえばどこかの店で食べたおこげが妙に白っぽくて、お米菓子のような外見と食感だったことを思い出した。


 三番目の倉庫は入り口をふさぐように木箱であふれ、中に入ることはできなかったが、沢庵の原材料の大根が入っていた。


 三つのテントを案内してくれた人は、「恐るべき輸入食品」(合同出版社)の著者で港湾労働組合の書記長である奥村芳明氏である。駆け足の見学を終えて、港湾内の事務所棟会議室に移り、奥村書記長から詳しい説明を受けた。

 今回のような港見学会は年間100回以上行われ、輸入食品の安全性と問題を現場から訴え続けてきている。しかし、私の知る限り全国紙、著名雑誌、TVでこの問題を大々的に取り上げられたことは皆無ではないが極端に少ない。格好のマスコミネタにもかかわらず取り上げられない理由はよくわからない。好意的に考えれば報道後の社会に与えるインパクトの強さをマスコミ側が配慮したものなのか、あるいは違法性がないという理由からあえて取り上げないのか、推測の域を出ないが、おそらく後者ではないかと思っている。


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埠頭から見た「みなとみらい」のビル群と氷川丸

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簡易テントと炎天下、野積みされたポリ容器

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テント内の様子

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中華街用テントの木箱

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木箱の中身は確認できない

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ポリ容器を開けてみるとナメコが入っていた

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加工処理された蕗