素材

  • 前のページへ
  • 006
  • 次のページへ

日本原産の植物


 ワサビはアブラナ科の多年草で、学名を「ワサビア・ジャポニカ(Wasabia japonica)」といいます。その名のとおり日本原産の植物で、中国大陸などには自生しません。葉の形が植物の葵(アオイ)に似ているので、漢字でワサビは「山葵」と書きます。英語では、そのまま「wasabi(ワサビ)」と表記します。

 古来、ワサビは薬味として珍重され、奈良時代より多くの書物に記載されてきました。平安時代の延喜年間(901〜922年)に深江輔仁(ふかねすけひと)が編纂した薬草事典『本草和名』や、承平年間(931〜937年)に源順(みなもとのしたごう)が編纂した辞書『和名類聚抄』には、和名を「和佐比」として登場します。また、鎌倉時代の1254年(建長6)に橘成季(たちばなのなりすえ)が著した説話集『古今著聞集』には、丹波国の桑原で野生のワサビを採取したことや、禅宗寺院で精進料理に使われたことが記載されています。さらに、室町時代中期にはワサビを魚の刺身に添えた記録が残っています。そのほか、江戸時代の1695年(元禄8)に人見必大が著した食品解説書『本朝食鑑』には「山葵」の名で登場し、1713年(正徳3)に寺島良安が編纂した百科事典『和漢三才図会』には蕎麦の薬味としたことが記されています。

 1854年(安政元)ペリーが日米和親条約締結のために再来日したとき、タイやヒラメの刺身にワサビをつけて食べ、浦賀に入港する前に立ち寄った沖縄の豚料理と比較して、「魚はみな同じ味だ」と不平不満を並べたという記録も残っています。一方で、ペリーに同行したドイツ人画家ハイネは、刺身とワサビの味を賞賛したと伝えられています。

 このように古くから愛食されてきたワサビですが、庶民が本格的に食すようになったのは、蕎麦や江戸前の鮨が流行した江戸時代後期です。鮨にワサビが使われたのは文政年間(1818〜1829年)だといわれています。以来、ワサビは貴重な香辛料として日本の食文化に大きく貢献してきました。

 近年、欧米ではワサビが注目され、料理人が競ってワサビを料理に採用するようになりました。そのためバブル期にはワサビの値段が暴騰しましたが、現在は落ち着きを見せていています。


記事関連の写真
記事関連の写真
記事関連の写真
記事関連の写真