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都市と農村を分離し、農民を固定化してきた中国


 昨年秋、西安(昔の長安)を起点に井上靖の小説で有名な敦煌までの旅行を楽しんできた。

 帰りの敦煌から西安までの移動は列車を利用したが、延々24時間かかった。

 列車はどこまでも続く黄土高原の中を走り抜けていくが、車中から見る景色は全く代わり映えのない風景が続く。所々にオアシスの緑が目に付く程度で、あとは一面、黄色の世界が広がっている。

 中国は2006年の時点で13億8千万人の人口を抱え、その70%が農民である。その数約10億人弱という巨大農業国家である。

 日本のスーパーの野菜売り場には中国産農産物が大きなスペースを占め、価格は国産よりかなり安く、種類も豊富だ。農業大国中国の前に日本の農業は市場という土俵の外側に押し出されそうな状況になっている。


 広大な国土、巨大な人口、伸張著しい経済、上海・北京に続々建設される高層ビル群、飛ぶ鳥を落とす勢いで中国はその国際的な地位を短期間で駆け上ってきた。特に首都北京や沿岸部の大都市は資本主義を体現して、とんでもない高所得者層を生みだしている。

 大都市は中国の表の顔を端的に浮かび上がらせる光の部分である。内陸部の農村地域に代表される中国の裏の顔は、その全貌が見えにくい。


 中国の農村部の情報はこれまで日本のマスコミ報道では断片的にしか伝えられてこなかった。しかし北京五輪の前から中国政府は徐々に国際的な配慮からだろうか、影の部分も小出しではあるが情報を流し始めたように感じる。北京五輪直前に発覚した毒入り冷凍餃子事件の中国政府の対応に、その兆候が読み取ることができる。オリンピックを挟んで、中国側の対応は二転三転したが、結局、何らかの理由で故意に餃子のなかに毒を混入させたのは中国側であることを公式に認め、警察当局による捜査の進捗情報も逐次日本に伝えられるようになった。

 捜査の範囲は問題の餃子を生産していた企業の正社員から、農村から出稼ぎに来たパート作業員にも広げ、徹底的な捜査をしている。低賃金で働かされた農民パートタイマーが腹いせに毒を混入し、企業を困らせようとしたのが犯行の動機、という説が流布している。

 本当のところは現時点でははっきりしないが、農民犯行説に納得してしまうような背景は確かに中国社会のなかにある。


 その背景とは農業大国中国が抱える深刻な難問に隠されている。

 意外かも知れないが、中国の一人当たりの耕地面積は世界平均レベルの43%にしか達していない。多すぎる人口と国土に占める砂漠、乾燥地帯の割合が高く、結果として一人当たりの耕地面積が相対的に少なくなっている。しかも農業の生産性は低く、10億弱の農業人口のうち1億5千万人もの過剰人口を抱え、農業所得は伸び悩み、都市との所得格差は年々開いていくばかりである。


 中国のミステリアスなところは、前号で取り上げたようにいくつか見られるが、最大のそれはやはり農業、農村、農民の置かれている地位の問題、すなわち「三農問題」であろう。

 中国には都市戸籍と農村戸籍の二つの戸籍がいまだに存在している。農村戸籍を持つ農民は都市戸籍を持つ都市住民に比べて著しく不利な立場におかれている。

 にわかに信じられないが、まず農民には自由に都市に移住すること、ならびに好きな職業に就くことが制限されている。そして税金についても農民は都市住民に比べ著しく負担が多く、不利な立場に立たされている。老人から生まれたての赤子まで税がかけられる人頭税のほかにさまざまな名目をつけて課せられる税金は、時として総所得を上回り、農民は重税に苦しめられてきた。また都市部に比べ地方への財政支出は限られ、農民の教育費や医療費負担は大きく、社会的インフラの整備も遅れている。


 1990年代にはいり都市と農村を分離し、農民という戸籍を固定する政策はさすがに見直され、段階的に農民の移動の自由を認め、2001年に戸籍制度を沿岸部から順次廃止することを決定し、現在では地方中小都市への移住規制を和らげた。しかし、北京・上海等の大都市の戸籍取得は依然厳しく限定されている。

 多くの農民は北京・上海などに建設労働者として出稼ぎに家族ぐるみで移住してきたが、農民戸籍のため子供は公教育を受けることができず、「民工学校」という私塾のような学校で学んでいる。「北京には大小の民工学校が123校あり、1万6491人の生徒が学んでいる」(清水美和著「中国農民の反抗」より引用)という。


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