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農のある暮らし

2011年8月20日 更新

第2章 働き方を考える

働き方の形 NPO設立の経緯


平成16年(2004年)に出版社を早期退職した後、2年を経た平成18年(2006年)8月に埼玉県でNPO法人がんばれ農業人を設立して代表理事に就きました。

私は東京の23区の中でも農地が皆無の下町生まれの下町育ちです。私のNPO設立を聞いた多くの友人知人からは「またなんで農業なの」と言われました。

そもそも私の農業との接点は小学生の頃から始まりました。私の母の実家が福島市内で桃とリンゴをメインにした果樹農家で小学校の低学年までは夏休みに毎年2週間ほど遊びにいっていました。

8月のお盆前後はちょうど桃の収獲時期と重なり、叔父や叔母は足手まといで迷惑だったかもしれませんが収獲や出荷の手伝いをしたり、自家消費用の米も作っていたので田んぼにも入ったことがありました。毎日が新しい経験の連続でワクワクするほど楽しいものでした。

農業には3K(きつい、きけん、きたない)のイメージが強いのですが、少なくとも私は全く農業にマイナスイメージを抱くことはありませんでした。また高校生の頃より食べることと料理に興味を持ち始め、しっかり「男子厨房に入って」みようみまねで料理作りを始めていました。料理は掃除、洗濯と比べて、よりクリエイティブな家事労働と思っています。

2000年代は食の安全性に対する信頼を大きく揺るがす事件、事故が多発しました。

平成12年(2000年)6月、乳業メーカーの最大手で、そのブランドを誰もが信用していた雪印乳業が管理体制のミスから黄色ブドウ球菌が産生するエンテロトキシンA型を原因とする有症者数1万4780名の食中毒事件を起こしました。

その翌年の平成13年(2001年)9月には日本国内初のBSE感染牛が確認され、平成14年(2002年)1月に雪印食品の牛肉偽装が発覚しました。その後産地偽装、賞味期限表示改ざん、輸入農産物の残留農薬問題など生活者、特に子供を持つ母親が中心になって食の安全・安心に対する意識が急速に高まってきました。

輸入に大きく依存する日本の食事情を見直す機運とともに足元の日本の農業に対する関心と問題意識が生活者の間に大きくクローズアップされてくるようになりました。

有機・無農薬、低農薬、減農薬野菜が脚光を浴び始めたのも2000年代です。食と農業がこれほど世間から関心をもたれたのは私の知る限りでは初めてでした。

退職後の社会との接点を保ち、自分自身のライフスタイルを実現するための組織であるNPO活動のテーマは農業しかないと確信し、方針は固まりました。

農業への思い入れをNPO活動のエネルギー源にして、次のステップは具体的活動へとつなげることです。

自分の強みは何か、その強みを活かして自分に何ができるのか。

出版社の仕事は大雑把に言えば情報を収集、選択、加工(編集)し、それを広く発信することです。生活者と生産者、互いの持つ情報を受発信するNPOの役割に出版社で培った経験を十分に活かすことは可能だと考えました。


出版社時代の同僚、その同僚の知人など人脈のネットワークを広げながら、具体的な活動取り組みの理論構築にしばらく時間を費やしました。

議論の末の結論として農業に対するNPO活動のスタンスは都市生活者の立ち位置で日本の農業活性化のために農業のサポーターに徹しようということになったのです。サッカーのサポーターは12人目の選手と言われますが、私たちのNPOは農業の担い手を応援することです。こうしてNPOの名称は農を生業とする人たちを応援する意味を込めて「がんばれ農業人」に決まりました。