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農のある暮らし

2011年12月20日 更新

第3章 新たな出会いについて

“My田舎”で“プチ田舎暮し”


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「小手指」駅に直結する高層ツインマンション

二人の子供がまだ社会人になる前に私はそう遠くない将来に田舎暮しのプランを考えていることをおりにつけ家族に話しをしていました。漠然とした話ではなく具体的な移住先として福島県の小名浜を候補地に上げていたのです。理由は気候温暖で目の前が海、背後は阿武隈山脈が迫って、海の幸と山の幸を堪能することができ、温泉も近くのんびりできること。常磐線、常磐自動車道を使えば東京へのアクセスもよいことなどです。

しかし実際には今もこうして25年間、所沢に住み続けています。結婚をした長男には「もしプランどおり小名浜に移住していたら、今頃原発事故で大変だったね」と冷やかされる始末です。

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車で5分も走ると住宅街の切れ目にある家庭菜園

田舎暮しの情報誌といえば月刊「田舎暮しの本」が有名ですが、創刊は「別冊宝島」の別冊の形で1987年に季刊誌として創刊されました。ちょうど私が39歳のときです。思わず飛びついてむさぼり読んだことを思い出します。3ヵ月後の次号の発売を待ち遠しく思っていましたが3年後には季刊から隔月刊誌へ、そしてその2年後の92年に月刊誌になり今日に至っています。ちょうどバブル期と重なりあうように売り上げ部数を伸ばしたのでしょう。

とんでもない好景気が続き世の中全体が浮かれきったなかで、田舎暮しに注目する人が増えたというのも不思議な現象でした。年間所得が信じられないくらい上昇して、このまま好景気が続けば自分も田舎に別荘の一軒くらい持てるかもしれない、という夢を見てしまったのかもしれません。

しかしバブル崩壊で夢は夢のまま終わってしまいました。

そして今、団塊世代が退職期を迎え田舎暮しが再び見直されてきましたが、前号の通り田舎移住や二地域居住を実現した人が増えているかどうかは疑問です。


ここまで「田舎暮らし」とか「田舎移住」とか意識せずに書いてきましたが、そもそも「田舎」とはどこを指して言うのでしょうか。

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思い思いの野菜作りを楽しむ


硬いアスファルトで塗り固められた地面にコンクリートと鉄で作られた無機質な建物からなる人工的な都市、他方緑濃い山々と田んぼや畑が広がる牧歌的風景に囲まれた自然豊かな田舎というのが一般的な図式になるでしょう。

日本の田舎の地形的特色は大部分が中山間地域に属しますが、その田舎ではすでにある大きな動きが起きています。「山を降りる」とか「町に下りる」という言い方をされますが、不便な山あいの住居を捨てて、より便利な町へ多くの人が移動しているのです。

特に若い世代は利便性の高い町中の市町村営住宅や民間マンション・アパートに移り住み、親とは別生計を営む人が増えています。このような市町村レベル内の移住や県内の郡部から都会への移住、そして県外から他県のより大きな都会への移住の流れが途切れることなく続いています。このことは前号で総務省の住民基本台帳人口移動報告で説明したとおりです。

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農家が経営するかなり大きな市民農園

話を戻して一般的には人口が多いところが都会、人口が少なく緑が多いところが田舎といった具合に都会と田舎を人口で区分していますが、人によってはコンビニや地下鉄のあるなし、音楽、絵画、コンサートなどの文化的なイベントが頻繁に行われかどうかが都会と田舎を区分する基準になるでしょう。

あるいは受験期の子供を持つ親にとっては進学塾のあるなしが都会と田舎を分ける基準と考えているかもしれません。

このように言葉を変えれば都会とはさまざまなニーズを持つ人が大規模に集まり、そのニーズに応えるためのインフラ、施設、ビジネス、流通、ノウハウの充実した地域・空間といえるでしょう。

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畑に隣接する雑木林

ヒト、モノ、カネが集まるところ、それが都会で、ヒト、モノ、カネが離れていくところが田舎という言い方もできます。

このように人によって都会と田舎の判断基準は異なります。

北海道の郡部に暮らす人の目に札幌は大都会に映るでしょう。札幌に次いで函館や旭川も頭に大はつかなくても都会と思うでしょう。

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大規模住宅団地内の小さな有料会員制家庭菜園

しかし首都圏に住む人の目には1914千人(全国4位)の札幌は別格としても347千人の旭川市や279千人の人口を抱える函館市は田舎の街という程度の感覚しかありません。私の住む埼玉県所沢市は人口342千人で首都圏のあまたあるベットタウンのひとつで旭川市とほとんど人口は変わりません。北海道の郡部に住む人がもし所沢市を旭川のように都会と捉えるとすれば、所沢市民の私としては極めて面映く感じてしまいます。

つまり人それぞれの感じ方の違いで同じ土地でも都会にも田舎にもなりうるということです。

では私の場合の都会と田舎の違いを示して見たいと思います。

私は生まれも育ちも東京の下町で、畑も田んぼもない江東区に29歳まで暮らしていました。


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一町歩単位の畑が広がり、その先には秩父の山並みが見える

結婚して長男ができたのを機に親元を離れ埼玉県に移り住み、そこで初めて近郊農業を営む農家をまじかに見ることになりました。冬の晴れた日に限定されますが、近くのだだっ広い畑越しに雪を被った富士山をみたときには新鮮な驚きを覚えました。秩父連山は同じく冬の晴れ間によく見ることができます。

しかし東京の23区内からは限られたスポットを除き、ビルに遮られ富士山を見ることはできません。それどころかだだっ広い関東平野に位置する東京の中心部からは富士山はおろか山を見るということはできません。

2年弱ほど大阪赴任をしていたときですが、秋の夕暮れ時に淀屋橋の上から、おそらく箕面の山でしょうか夕日をバックに黒々とした山のシュリエットに感動したことがありました。また休日に奈良に出かけたとき近鉄奈良線の車中で少しの時間、うとうとして目を開けたら眼下に大阪の町並みがパノラマ状に広がっているのを見てびっくりしたことを思い出します。生駒山のトンネルの手前でしたが、大阪という大都市でもこれほど近くに山がせまっていたことをはじめて知りました。

大阪に限らず地方都市を訪れると、町の中心部から山をのぞむことができます。

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車で15分で、周囲は総て農家ばかり


私の狭い経験ですが大阪といえど東京を除く地方都市はいずこも自然豊かな田舎が背中合わせのように隣接していることを実感しました。同時にあらゆるものが一極的に集中してしまった東京は突出して異常な状態だと思います。

つまり東京の区部を除けば、日本の都市はほとんどといっていいくらい都会と田舎が背中合わせになっているのです。

田舎暮しを選択するとき、北海道や沖縄、あるいは私のように福島県を候補地としてあげてもよいでしょう。しかし現在の居住地を離れ遠い場所を選択しなくても身の回りを見渡せば田舎は確実に存在します。自分の身の回りで“My田舎”あるいは“プチ田舎暮し”を現実化してしまえばいいのです。

西武池袋線の「小手指」駅は私の家の最寄り駅ですが、駅前には駅と直結する大手ディベロッパーによる高層ツインマンションが建設中です。しかし駅から車で5分も走れば住宅街の切れ目の先には雑木林と畑が広がっています。

ここ7〜8年で私の自宅周辺の住宅地としては広すぎるし、畑には狭すぎる中途半端な休耕農地を農家から借りて、個人的に菜園として利用する人が急激に増えてきています。住宅が立ち並ぶ真裏とか、住宅に挟まれた場所があれあれという間に菜園に変わってしまっています。

次回は私の“プチ田舎暮し”を紹介させていただく予定です。