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農のある暮らし

2012年2月5日 更新

第4章 カネ・モノ・時間の使い方

退職後、カネはどこまで必要か


私の小・中学校の同級生の家業は東京下町で3代続くガラス店です。

住居の一部を店舗にして、隣に住居面積相当の広い資材置き場があります。彼は4人の姉兄の一番下で大学卒業と同時に家族経営の一員としてガラス店一筋で働いていきました。住宅建築ブームのときは寝る間もないくらい働き、ガラス店は株式会社に組織換えして随分利益が出たそうです。

しかし、10数年前から二人の兄と姉は経営から身を引き、そのときそれ相応の財産分与をして彼に残されたのがガラス店の経営権と家と土地だけでした。学校や役所などに得意先を絞ってなんとか店を続けていましたが、昨年102歳で母親を看取った直後から、姉兄からさらなる財産分与をもとめられ資材置き場の土地を手放すことになってしまいました。

二人の兄と姉は十年以上前から実家に一度も顔を出さず、さらに母親の葬儀にも出席しなかったという異常な関係が続き、弁護士を間に立てて姉兄とは直接接触していないということです。遺産相続をめぐる骨肉相食む気の毒な状況に直面し、幼なじみは憔悴しきった様子でした。

「子孫のために美田を買わず」

日本には老いてなお生に執着し、吝嗇なほどの蓄財に励むことへの戒めと親の財産に頼らずひとり立ちできるよう子を教育せよという古くからの戒めがあります。

平均的なサラリーマン家庭に育った私などは親から引き継ぐ遺産も特になく、同じように私の子供たちに残してやれる財産もありません。一般的に遺産相続でもめるケースは金額にして2千万円〜3千万円程度だそうです。

しかし遺産相続問題はけしてその額の大きさの問題ではなく、当事者の事情によりもめる額はまちまちです。極端な話、100万円でももめるときはもめるのです。

したがって金は死ぬまで1円たりとも残さず総て使い切るのが理想です。現金・預金は使いきったとしても家と土地は残り、これも現金化すれば争いの種は残るわけです。その場合は生前に家を売却し、有料老人ホーム入居のための費用に当てて、これもまた使いきってしまうのです。こうすればきれいさっぱり、争いの種は残りません。せいぜい残された子供にはケチなおやじと言われるかもしれませんが、死人に耳なしで何を言われようと気楽なものです。

ただ問題なのは自分の死が何時やってくるかという問題です。こればかりは誰にもわかりません。

経済的な理由から退職後も働かざるを得ないケースは別として、子供も成人し、ローンも完済し、預貯金や年金で老後の経済的問題をクリアーしていると思われる人で、なお働き続ける人がいます。

金はいくらあっても邪魔にならないと考えるからでしょう。しかし金は自分のために使うべきでゆめゆめ子供のために残そうなどと考えないほうが賢明です。所詮、残した金がもとで残された家族がいがみあい、憎しみあいを増長させるだけの話です。

金は魔物で人の心を一変させます。

この超低金利時代に投資額を上回る配当話にだまされて、何百万円も損をする老人があとをたちません。

日本人が一種の拝金主義に成り下がったのはそれほど遠い昔ではなく、モノづくりから金融へシフトした戦後のアメリカの行き過ぎた金融資本主義に毒されたためです。

アメリカは民族、国籍、宗教、文化・習慣の異なる人たちの寄せ集めで、母国を食い詰めた人たちが新天地を求めて作り上げた歴史上稀に見る特異な国です。バラバラな寄せ集め国家を共通の価値観、倫理観で纏め上げるには誰にでもわかりやすく、無機質な価値基準が必要でした。それが金、つまり富を築くことでした。財産の多寡を競いあい社会的成功者は誰からもうらやましがられ、かつ尊敬される社会が新興国家アメリカです。

ヒーローに嫉妬することなく、誰もがヒーローになることを夢見てきた社会、その行き着く先が行き過ぎた金融資本主義でした。

しかし、さしものアメリカも特に若い人たちからアメリカ的価値観に対する疑念が沸き起こり、それが「Occupy Wall Street」(ウォール街を占拠せよ)デモにつながったのです。

日本ではそれに先立ち2006年、堀江貴文が証券取引法違反容疑で逮捕されました。

この事件は明らかに国策逮捕で、拝金主義、行き過ぎた金融資本主義への国家としての警鐘のためでした。堀江貴文や村上ファンドの村上世彰は社会的見せしめとして国家ぐるみで糾弾されたわけですが、無国籍で無機質な金はいとも簡単に国境を越え、世界的にはなかなか尻尾をつかまえられない代物です。

2006年前後の頃、ビジネスシーンで好んで使われた「ウイン・ウイン」の関係はあくまで富める者たちだけの仲間内の富の配分にすぎず、仲間以外は置いてきぼりを食らい、グローバル規模で貧富の差が広がりました。これは無国籍で無機質な金の性格上、当然の帰結です。

ほうっておけば、自由自在に動き回り秩序を破壊しかねない金になんらかの規制、コントロールをしなければならない時期に来ているような気がします。

その規制、コントロールは一国では到底効果が上がらず、やるとすればグローバルな連携が必要になるでしょう。

金はその人にとって必要最低限あれば、それ以上は望まないようにしたいものです。無いものねだりはやめて、身の丈にあわせた生活をすればいいのです。

日本人は仕事好きな国民という人がいます。しかし、それは戦後の話で特に高度経済成長を契機にそう考えられただけの話です。エコノミックアニマル、仕事中毒人間などと日本人が内外から揶揄されたのは日本の長い歴史のなかのほんの一過性の現象に過ぎません。

江戸時代は早めに家督を子に継がせ自分は隠居して思う存分、自分の好きなことをしてきました。江戸文化を引き継いだ明治生まれの人も趣味を大事にする文化・習慣がしっかり根付いていました。

金はあくまで手段であって目的化した途端、金は魔物に変身します。

私にとって金とは生活を維持するための手段であり、維持するに足る金があればそれ以上金を稼ぐ必要はないと考えています。そしてサラリーマンであれば仕事は金を稼ぐための手段にすぎません。稼ぎ終えたらさっさとやめてしまえばいいのです。

定年をとっくにすぎてもなお会社に何時までもしがみついているようでは、若い世代にとって迷惑極まりないことです。

仕事以外の趣味は何も無いので、定年退職後、再就職をしたという人に出会いました。

特に若い人たちにとっては厳しいビジネス環境が続きます。何もやることが無いので会社に再就職した人と同じ机で仕事をする若い人の身になって考えてみてください。趣味なら無報酬で仕事をするべきでしょう。場合によっては趣味で仕事をさせてもらうのだから、こちらからお金を払うのが筋ではないでしょうか。

とにかく、世の中には大いなる勘違いをしている人が沢山います。