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農のある暮らし

2012年3月20日 更新

第4章 カネ・モノ・時間の使い方

モノのまわらない世の中


人が生活をするうえで基本的に必要とするモノの代表といえば「衣食住」の三つです。

世の中の経済活動とはモノの生産と消費が車輪のようにぐるぐると回り、その回転スピードと回転数が早くて大きいほど経済活動は活気があふれ、その結果世の中の景気が良い状態になります。もちろん消費者、つまり人口の多寡がモノの売れゆきに大きな影響を及ぼすのはいうまでもありません。

日本の人口ピラミッドはご存知のように高齢・少子社会のため逆ピラミッド型になりつつあります。2050年にはきれいな逆ピラミッド型を描きます。


モノを視点に描く近未来の逆ピラミッド型社会とは・・・

1、モノを生産する人よりモノを消費する人のほうが多い

2、モノを消費する人は高齢者が圧倒的に多い

3、高齢者は消費するモノの絶対量が少ない

ということになります。

人は年をとるとおしゃれに気を使わなくなります。サラリーマンのときはスーツ、ワイシャツ、ネクタイ、コート、靴は必需品なので、定期的に買い換えてきました。しかし退職後はまずネクタイを締める機会がめっきり減り、革靴よりスニーカーを履くことのほうが圧倒的に多くなります。団塊世代はその上の世代に比べておしゃれにお金を使う世代ではありますが、おしゃれをしても誰も見てくれる人もいないので知らず知らずに毎日同じ服を着ている自分に気づき愕然とします。

ワイシャツも週に5着クリーニング店に出していましたが、外出の減少に比例してクリーニング店の仕事も減っていきます。

食べるほうといえば年齢に比例して食が細くなり、かつ夫婦二人の世帯ではダイコン、ハクサイ、カボチャ、キャベツのような大型野菜は食べ切る前に鮮度が落ちてしまいます。そのためスーパーの店頭にはこれら大型野菜が半分あるいは4分の1にカットされ売られています。

食が衣と異なるところは人一人が食べる量がきまっていることです。金持ちも貧乏人も1年間に食べられるお米の量にはほとんど差がでません。せいぜい金持ちは高い米を買うぐらいです。高齢化もさることながら少子化で人口そのものが少なくなれば食の全体的な消費量は当然減少します。

「衣食住」の最後の「住」の展望ですが、「衣と食」同様、先細りが予想されます。

「トコトコ農園」に隣接する所沢市と狭山市にまたがる西武系の大型住宅団地があります。1972年に販売された同物件は1区画が50〜70坪できれいに区画された典型的な郊外大型一戸建て住宅団地です。当時の子育て世代にとって周辺環境も申し分なく、抽選倍率も高い人気物件だったようです。しかしそれから40年を経た現在では子供たちは独立して別所帯を構え、離れていきました。1000世帯もあった住宅団地を見込んで、当初はスーパーの西友が出店していましたがしばらくして撤退し、別のスーパーが代わりに入りましたが、同じように売れ行き不振で3〜4年前に撤退してしまいました。

今では住民の高齢化に歯止めがかからず、買い物は西武バスで最寄り駅に出て、帰りはタクシーを利用するという不便をかこっています。買い物難民が確実に増えつつある状況です。そして団地内では空き家と売り家が目立ち始めてきています。

この住宅団地が販売された1972年は私が社会人になった年で高度経済成長の終焉時期でした。しかし今と比べればまだまだ将来への期待がもてる時代でした。政府の持ち家政策と毎年増え続ける給与があいまって、個人にとって敷居の高い銀行が個人むけ住宅ローンを販売するようになり、若くして家という一生一度の大きな買い物が若年増でも可能になりました。

しかし今では少子化により、一人の子供が両親の家、父方、母方双方の祖父母の家、3軒を相続するケースが出てきました。家あまり現象は今後も加速するでしょう。

バブル崩壊で長らく続いてきた土地神話も崩れましたが、これからは住宅需要そのものが落ち、相続した土地と建物を手放すケースが多くなり供給過多傾向が続くと思われます。

住宅は買うものではなくなり、戦前のように合理的・経済的な借家が主流になるかもしれません。

家に次ぐ高級財の車も若年層を中心に所有することからレンタルする傾向が出てきています。また新築マンションや親しい主婦層の間でカーシェリングシステムが取り入れられ始めています。必要なときに必要な人が低料金で車を融通しあうシステムは特に都会で需要が増えるかもしれません。

このように日本国内の経済活動はこれから一層厳しくなります。

このまま経済活動が縮小していけば国や地方自治体の税収も減少していきます。住民にとっては行政サービスの低下につながります。また比較的税収の豊かな自治体とそうでない自治体との格差が広がり、サービスの低下に不満を抱く住民が財政豊かな自治体に住民票を移すケースが増えるでしょう。

これまで安定性で人気が高かった地方公務員も安閑として入られません。税収が落ち込めば給与も下がるだろうし、場合によってはリストラもありえます。なにせ公務員給与の原資となる税収そのものが減るのですから。

他方、日本国内の移動を通り越して海外移住に踏み切る子育て世代が現れはじめました。

これまで海外移住といえばリタイヤした高齢者が主流でしたが、先行き不透明な日本に見切りをつけてシンガポールやマレーシアに家族揃って移住を決めた人もいます。

特に個人経営者は高い法人税率を嫌い、高額な健康保険を含む社会保険料もネックに感じています。さらに直下型地震の危険性、原発事故の健康被害の恐れという新たな不安要素も加わりました。そして年金制度の破綻による無年金生活を見越して日本を離れる動きが加速されるかもしれません。

若い働き手が海外に仕事と生活の場を移したら、日本国内はますます活気が失われていくでしょう。


日本は先進国のなかで、最も移民受け入れに消極的な国として有名です。

世界を見渡すと移民を積極的に受け入れ、人口に占める高い移民率の国々が目立ちます。例えばカタール87%、アラブ首長国連邦70%、クウェート69%、アジアでもシンガポール41%、香港39%と高い移民率になっていますが、日本はわずか1,7%で世界230か国中170番目の低さです。

21世紀の移民の実態をみると2000年から5年間の統計で世界の先進国における人口増加の75%は移民によるものだそうです。しかも移住者の教育水準は一般に考えられているより高いそうです。

日本は移民の受け入れを拒むことで没落していく国の例として世界から注目を浴びているほど、移民に消極的です。

日本が長らく移民に消極的な姿勢をとってきた理由は以下の3点です。

1、犯罪の増加 2、暴動の可能性 3、日本文化の維持に支障


さらに移民を拒む理由として世界的な経済不況下の今日では移住者の増加は失業率の増加につながる、移住者の影響で賃金水準が下がる、移住者によって社会福祉費の増加につながるといった懸念を挙げています。

しかしこと失業率問題に関しては豊かさに慣れきった日本の若年層は中小企業の求人には目を向けず、特に3K職場に就くこともなく、求人はあっても見向きもしないという傾向があるのは事実です。しかも情けないことに仕事もせず安易に生活保護を求めたがる傾向があります。


日本はフランスのように出生率をあげるための長期的政策をとる一方、時間のかかる自然人口増では急激な高齢社会に対応できないこともあり、早晩移民による社会人口増もあわせて考えなければならないでしょう。

今後は移民によって生じる社会的マイナス面ばかりでなく、プラス面も客観的に評価すべきです。

移民にともなうトラブルは少なからずでてくるでしょう。しかし、異文化との軋轢、衝突が社会エネルギーに転化することは良く知られています。

お隣韓国は単一民族国家で移民についてはこれまで日本同様慎重な姿勢をとっていましたが、2009年に「多文化基本法案」をつくり移民の受け入れを定着化させる方向へと舵を切り始めています。


橋下大阪市長の人気は閉塞した日本社会を壊し、日本再生をぶち上げた彼の実行力への期待感の現れです。その彼が盛んに取り上げているのが道州制ですが、制度を変えるだけで、自治体間の優劣と格差是正の根本的な施策がなければ、現状をそのままスライドするだけで、なんの解決策にもなりません。彼の「船中八策」はダイナミックではあるものの、荒削りの感が否めません。しかし「船中八策」が現実離れの奇策であってもそれを本気で後押しする民衆が多数存在すれば、錦の御旗は既成政党の手から新党の手に渡り、その瞬間から既成政党が抵抗勢力に逆転する可能性は残されています。


前回で触れたことですが、いま日本の指導者層に多くの期待をかけるのは無理です。とにかく判断が甘い、決断が遅い、私利私欲だけの思考パターン、国家百年の計とはいいませんが、10年先を見通せない指導層には政官財問わず早く退場していただきたい。


池に小さな石を投げこみ、その小さな波紋がだんだん大きくなっていくように、江戸末期に名も無き庶民が旧体制をあからさまに非難し、そして抗議行動に移したことが明治維新に結びついた歴史を今こそ思い起こしてみるべきでしょう。

次回は章を改め、一個人として今、何をなすべきかを考えてみます。