• 「概要」へ
  • 「イベント」へ
  • 「申込フォーム」へ
  • 「連載」へ
  • 「情報コーナー」へ
  • 「メルマガ登録」へ
  • 「アーカイブス」へ
  • 「リンク」へ

農のある暮らし

2012年5月5日 更新

第5章 地域には誰でもできることがある

知識と知恵と行動力


知識と知恵はよく混同されて使われますが、次の言葉の使い方でその違いがわかると思います。

「あの人は知識が豊富だ」あるは「知識が深い」といいますが「知恵が豊か・知恵が深い」とはいいません。あるいは「知識を身につける・知識を詰め込む」というように知識は外から「データ」というモノを取り入れる様子を連想させます。

知識が豊富とは知識というモノの量を測るときにいわれます。知識が深いとは知識というモノの質の良し悪しを測るときにいわれます。

つまり知識とは本などからデータを取り込み、あるいは耳学問として人から聞き取り、蓄積してきた総体といえます。

一方知恵からは「先人の知恵」あるいは「主婦の知恵」といように取り入れたデータが経験、体験を潜り抜りぬけ、そのエッセンスのようなものを感じ取ることができます。そして同時に問題解決のための具体的で役立つものを連想させます。

知識のある人を「もの識り」といい、知恵のある人を「知恵者」といいます。「もの識り」は人から感心される対象に、「知恵者」は人から頼られ感謝される対象になります。

またマイナス面では「もの識り」は軽い皮肉を含んだ言い方で使われ、「知恵者」はなにかひと筋縄ではいかない人を連想させます。

「知識」と「知恵」を比べると「知恵」よりも「知識」のほうが軽い印象をもたれる傾向があります。しかしもうお分かりになると思いますが、「知識」は「知恵」の基本になります。「知識」が抜け落ちた「知恵」はほんとうの「知恵」とはいえず単なる「浅知恵」あるいは思いつきの範囲にとどまります。

昨今はインターネットのおかげで必要な情報が瞬時に手に入れることができるようになりました。そのため「もの識り」が増えてきました。知識が増えることはとてもいいことです。しかし「知識」をより身に付いたものにしなければただの「もの識り」にとどまるだけです。

「知識」のある人で常に消極的な言動をとる人をみかけます。その人の性格もありますがうまくいった事例とその反対の失敗した事例の双方を「知識」としてもっているだけだと、導き出す結論が消極的になりがちです。

消極的な結論に何故なるのかといえば、世の中、成功例より失敗例のほうが圧倒的に多いからです。自ら経験や体験を経ずして「知識」を持っているだけでは、慎重、消極的な結論をだしがちです。

仮にわずかな成功の可能性があっても、チャレンジすることを放棄してしまいます。というよりおそらく失敗を回避する手立てを思いつかず、しり込みしてしまうのではないのでしょうか。失敗を恐れる気持ちの強い人は知識偏重のいわゆる頭でっかちの人が多いような感じがします。

あるいは自ら責任を取りたがらない人、常に傍観者的な立ち振る舞いをする人、失敗を極度に恐れ嫌う人も同様です。企業のような人間集団の中には反対のための「反対意見」しか発言しない人が必ずある一定割合存在します。

このような人たちにはおそらく「知恵」が思い浮かばないのでしょう。自らの経験、体験が少なく「知識」を「知恵」に昇華できず失敗を回避するための具体的な方策、手立てが考えられないのではないかと思います。


“三人寄れば文殊の知恵”という慣用句があります。一人より二人、二人より三人集まればいい知恵が浮かぶということですが、この諺は集まる人の数の多さを言っているのではなく、三人というところがキーポイントなのです。

一人ではどうしても視野が狭くなり、それを補うために人の意見を聞いたほうがよいのですが、仮にその人が知識偏重の頭でっかちの人ならばその意見は「反対意見」になるでしょう。しかし別のもう一人が加わると、仮にその人が正反対の積極的な人であれば状況はがらっと変わります。そうすると面白いもので反対意見にも考えさせられる点も多く、イケイケ積極派にブレーキをかける役割を持つことになります。このように二人ではうまくいかないことも、三人になるとうまくバランスが取れるようになります。

三人ということでいえば三人旅も二人旅よりうまく行くことが経験知として知られています。日帰り旅行のような短い旅行ではなく、長期間の旅行の場合ですが親しい間柄でも、毎日行動をともにしているとついついわがままもでて、意見が分かれることもでてきます。二人旅の場合は意見の相違がだんだんエスカレートして、互いに気まずい思いをすることも出てきます。しかし三人であればだれか一人が調整役となり、丸く治まることがしばしばです。水戸黄門ご一行も三人です。人間集団の最小単位は三人なのです。


このようにデータである「知識」を活きた「知識」にするためには経験や体験といった一種のフィルターを通して「知恵」へと昇華させる必要があります。「知恵」には問題を解決するためのヒントがつまっています。

経験や体験はパソコンの前で「知識」を収集する作業とは違って自分の足と体を動かし「知識」の検証をする行為といえます。本や人から直接目や耳から得た「知識」がはたしてそのとおりなのかを実際に自ら確かめるのです。

NPO活動でよく行われていることですがワークショップという手法があります。

ワークショップは作業場とか工房を意味しますが、ここでは作業体験を通して理解とスキルアップの手法を指して言います。

野菜作りを1年体験すると野菜の旬がわかるようになります。冬場にトマト、ナス、キュウリといった夏野菜を食べることに抵抗を感じるくらい旬の感覚が身に付くようになります。また野菜を無農薬・有機肥料で育てみれば、野菜が本来持っている生命力の力強さが分かります。葉もの類の収獲が遅れ、とうが立つ直前に収獲した太い茎でもゆでれば十分柔らかく食べることができます。また生命力のある有機野菜は保存性に優れています。新聞紙に包み少しの水分で新聞紙を湿らせ、冷蔵庫の野菜室に立てて保存しておくと、1週間はけしてしなびることはありません。

野菜作りに限りませんが経験年数を重ねていけば「知識」は身につきおのずと「知恵」に昇華して行きます。


次に行動力について考えてみます。

行動力はフットワークと言い換えてもよいでしょう。独断かもしれませんがフットワークの良し悪しはその人の人生を左右する重要な要素と考えています。

フットワークがよいあるいはフットワークが軽い状態とは次のようなことをさします。


1、考えることに多くの時間を費やすなら、まずやってみる

2、出来るだけ多くの人に会う

3、先入観を捨てる

4、損得を考えすぎない


知識偏重の頭でっかちの人にありがちなのですが行動に移す前にあれこれ考えすぎて、結果タイミングを失い行動に結びつかない。慎重に対処することはけして間違いではありませんが、慎重もほどほどにしなければ判断、決断を遅らせ、みすみすチャンスを見逃してしまいます。「石橋をたたいて壊す経営者」というサラリーマン川柳を思い出します。


“三人寄れば文殊の知恵”の通りさまざまな意見、考え方に接しヒントを得ることは言うまでもなく重要です。自分の考えを再検証する意味でも人にあって話を聞くことは大切です。人と人のつながりで成り立つ人間社会ですから、多くの人とのネットワークを常日頃から築いておくべきでしょう。幅広い人脈はその人にとって最大の財産です。


はじめから結論ありきの人がいます。人の頼みを最後まで聞かず話を聞いたとたん断定的に断るのはよくありません。最後まで話を聞いて、断るときは理由を丁寧に説明すれば相手は納得します。そうであれば相手にまた今度別件を相談してみようという気持ちにさせます。


そして最後は利用価値があるかどうかを値踏みして付き合う相手を選ぶ人がいます。付き合っておいて得になればとことん付き合うのですが、得にならなくなった途端、手のひらを返したように距離を置く人がいます。これは長い目でみればけして得なことはなく人脈はいつまでたっても広がりません。

このようにフットワークの良し悪しで自分の世界を広げるか、反対に狭めてしまうかが決まってしまいます。


同年齢でも随分とふけた人、年より若々しくみえる人、年齢相応に見える人などさまざまです。歩き方をみても歩幅が狭く、老人特有の歩き方をする人もいれば、歩く後姿で20歳は若い人もいます。70歳をすぎると外見の違いはますます顕著になってきます。

若々しく見える人は話題も豊富で面白く、その反対の人は過去の話を、特にサラリーマン時代の話ばかりで壊れた蓄音機を連想してしまいます。

やはり内面が充実した人ははつらつとしています。何かに打ち込み、なんでも興味を持ち、いろいろな人たちと付き合い、フットワークのよい人はいつまでも健康と若さを保つことができます。


退職後、何をしていいかわからない、打ち込むものがみつからない、どうしたらよいのかわからない、そういう人は身の回りを注意深くみてください。ご自分が暮らしている地域社会をじっくり観察してみてください。やるべきことはそこいらじゅうに転がっています。知恵を働かせてください。食わず嫌いを改めて何でもやってみてください。

子供の頃、農業を手伝わされ、いい思いでもなくまさか自分が趣味で農業をするなど思いもしなかったという人がいます。そんな人がどっぷり農業にはまり今では農園ライフを生活の中心においている人が私の身近にいます。病気らしい病気もせずかなりきつい農作業もすすんでこなす元気な人です。


<完>