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玉の井パラダイス

2013年2月5日 更新

第16話 喜一の憂鬱


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昭和30年代
映画館だったころ
小針美男 画

右側の人物が立っているところが切符売り場で、正面入り口にもぎりのおねえさんが座っていた。わが家は映画館の釣銭のための両替をしてやっていたので、おねえさんとは顔なじみだったから、顔パスで、いつでも好きな時に映画を見ることができた。東映時代劇の全盛期だったから、小学生だったわたしにはふたつとない幸運だった。

主人公の背後に悪者が迫ってきたりするとおとなまでいっしょになって「危ない!うしろだ!うしろだ!」と夢中になって叫び、味方がやってくるとみんな一斉に拍手喝さい。ある意味とっても素朴な時代だった。


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今現在はこんなふうになっている。東映の上映館から大映に代わり、昭和30年の終わりころ「セイフーチェーン」というスーパーマーケットに転身。しばらく前に「グルメシティ」と経営が変わった。左奥に見える屋根が「啓運閣」 かつての境内は八百屋に占領されて、その奥にお寺がある事さえ見過ごされてしまう。

スーパーの建物は戦前のものがそのまま使われている。


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わが家の前に立つと斜め前にこの景色が見える。50年前とほとんど変わらず、手前の白い小屋は、かつてはちいさな台所と6畳一間の造りで、映写技師一家5人がここで暮らしていた。昭和30年前後の住宅状況はそんなものだった。


その年の冬のある晩、遠くからアスファルトをガラガラと蹴飛ばすような下駄の音が近づいてきたと思ったら、すでに半分戸を閉めてカーテンを降ろした店先に飛び込んできたのは喜一だった。

寒空の中喜一はYシャツ1枚をはおったきりで、「おばさん!」と母を呼んだあと一瞬絶句して、それから「オヤジが死んじまった」と大声で叫び、そのままそこにばったりと座りこんでおいおいと声をあげて泣き出した。


「あら、まぁ、なんだってそんな・・・」

母が下駄をつっかけるのももどかしげに下りて行って、喜一に駆け寄った。

「なんでまた、そんな・・・」

母は同じ言葉をくりかえしながら、喜一の肩をつかんだ。

「こんなところでしゃがみこんでてもしょうがない。ともかくもお入り」


喜一より一回りもふたまわりも小柄な母に肩をつかまれて、喜一は火を落としてだれもいなくなったもんじゃの台のまえにひっぱられていった。

喜一はまるで小さいこどもみたいに泣きながら「オヤジが死んじまったよぉ、オヤジが死んじまったよぉ」とそればかりをくりかえす。


今にも雪が降り出しそうな寒い夜だった。空のどこかで風がひゅうひゅうと鳴っていた。時計を見るとすでに11時半をまわっていて、朦朧として目を覚ますたびにもんじゃ焼屋のほうから、母と喜一のぼそぼそと話す声が聞こえてきた。


喜一にはきょうだいがいない。おかあさんとふたりだけになって、そのおかあさんもほんとうの親じゃないと聞いている。きいっちゃんはわたしよりかわいそうかもしれない。夢うつつの中でそんなことを考えながらいつの間にか眠っていて、喜一がいつ帰ったのか知らなかった。


それから間もなく喜一は高校を辞めて、区役所の土木課の作業員として働きはじめた。前に書いたように喜一の夢は船乗りになることだった。父の死で喜一はその夢を捨てたのだった。喜一の家庭の事情はくわしくはわからないが、父親が死ぬとすぐにでも困るような暮らしぶりらしかった。


喜一のほんとうの母親は東京大空襲で行方知れずになったままで、今の母親は後妻だそうだ。戦前の玉の井で客を取っていたことがあったといううわさだった。が、後妻というのも娼婦だったというのもどれもまた聞きのまた聞きだからほんとうのところは誰も知らない。

ただ、下着同然の姿でくわえたばこで歩いている姿を何度か見かけたことがあった。

「なんだかあんまりよさそうなひとには見えないね」

外で出会ってもあいさつもしないので母はこころよく思っていないようだった。


そんなふうにあまり評判のかんばしくない母親を喜一は驚くほどたいせつにしていた。高校を出なくても船乗りになれないわけじゃなかったけれど、父親がいなくなった今、母親をひとり残して船に乗ってしまうことはできないと思ったらしかった。

「あんな母親にしがみつかれて、きいっちゃんもかわいそうだ」

ときどき手伝いに来てくれている正子伯母を相手に、母がそんなことを言っていたことがあった。


このあいだ母は大きなガラスの人形ケースを買った。去年の修学旅行で、みんないっせいにこけしをおみやげに買ってきた。社会人になって社内旅行とかちょっとした旅行のたびにこけしを買ってきてくれるので、お店がはじめられるくらいに貯まってしまったのだ。


働くようになったといっても、中卒の彼らの給料は安かったし、ほとんどの子は給料の大半を家に入れていたから、それほど余裕ができたわけじゃなかった。それでも働きはじめて2年も経つといつもオケラだった古石くんだって、もんじゃを買う10円20円がなくてやせ我慢して4畳半に寝転がっているようなことはなくなったし、ときどきはまだ中学生の後輩におごってやることもできるようになった。


中学を出てからもかれらはもんじゃ焼き屋に集まってきた。中学のころは遠慮がちにこっそり吸っていたタバコを、卒業したとたんあたりまえに吸うようになった。狭いもんじゃ焼きの部屋はかれらがふかすタバコの煙でまっ白になる。


「タバコを吸うひとはうちに来ないで」

タバコさえ吸わなければ不良などと言われなくて済むのにとわたしは思っていた。小窓を開けてタバコの煙を追い出しながらわたしがどんなにムキになって言っても、みんな笑っているだけだった。

それどころか母や正子伯母までが彼らにそそのかされていっしょに吸うようになってしまった。


そんなあいかわらずのにぎやかさの中で、喜一はすこしずつ無口になっていった。もう、海の話でみんなを笑わせることもなくなって、膝を抱えて壁に寄りかかっていることが多くなった。


「あいつ、このごろちょっとおかしいよ。おばさん、そう思わない?」

誰もいなさそうな時間を見計らってやって来て、多佳が母にそう言った。

「そうだねぇ、わたしも気になっていたんだけれど、きいっちゃんもいろいろ辛いことがあるんだろう。せっかく入った高校もやめなきゃならなかったし」

そう心配はしていても、母には喜一の力になってあげることはできなかった。


「でもさあ、高校くらい行かない子はいくらでもいるんだよ。それくらいのことでうじうじしてるなんてだらしないじゃないか」

多佳はそう言いながら店の冷蔵庫からラムネを一本取り出して力任せに栓を抜いた。シュワッと音を立てて白い泡が瓶の口から勢いよくあふれ出て、多佳の落下傘みたいにふくらんだスカートにこぼれ落ちた。

「だめだよそんなに乱暴にしちゃ、中身がみんな出てしまうじゃないか」

母が投げてよこしたタオルで、こぼれたラムネを拭きながら多佳はふくれっ面をしている。


「ああ、うめぇ」

仁王立ちになったまま、ビンの中のビー玉を小気味よく鳴らしてラムネを飲み干すと、手の甲で口をぬぐった。腰をきゅっとしぼってすそが大きく広がった最新流行のきれいワンピースを着た多佳に、そんなしぐさはまったく似合わない。


「船乗りになりたかったらなりゃいいんだよ。おふくろだってまだ若くてさ、ひとりで生きて行けないわけじゃなし。おふくろもおかしいよね。まだ40半ばだってよ。それなのにむすこを働かせて左うちわで暮らしていくつもりでいるなんて。やっぱり実の親じゃないからかねぇ。

それにいつ見ても感じ悪いよ。スパスパタバコの煙吐き出しながら歩いちゃって、行儀悪いったらありゃしない。やっぱりパン助上がりはしょうがないや」

多佳は店先でそんなことを大声でまくしたてる。


「ちょっと、ちょっと、まさかあんた、きいっちゃんにそんなこと言ってないだろうね。

ほんとうの親じゃないとか、銘酒屋で働いてたとか。どっちもただのうわさ話かもしれないんだよ」

母が声をひそめて言う。


「言わないよぉ、そんなこと。やっこさん、おふくろのこと気違いみたいに大切にしてるからね。うっかり言っちゃったらぶっ殺されかねないもん。

だけどさぁ、やっぱりほんとうの親じゃないんだと思うな。だってこれっぽっちも似たとこないしさ。直観だよ、直感。ところが、この直観ってのがけっこう当たってたりするもんなんだ」


「わたしにはなんとも言えないけど、ほんとうの親じゃなかったらよけい難しいかもしれないよ。実の親だったら言えるわがままも言えなかったりするもんだからね。あんただってほんとうの親だからこそ、くそばばあだの店をぶっ潰してやるだのって平気で言えるんだからね」


母はエプロンのポケットをまさぐってタバコを取り出し、箱の底を人差し指でぽんぽんとはじいた。タバコが一本、箱の切り口からひょいと顔を出した。いつの間にやらすっかりいっぱしの愛煙家になってしまった。

「それに、パンパンだとかパン助だとか、若いおんなの子が口に出して言う言葉じゃないよ。わざとそういう悪いことばを使いたがるんだから」


多佳はタバコは吸わない。母が吐きだす煙を目で追いながら、多佳は「ふん」と鼻を鳴らして、持っていたラムネのビンをカラカラと音を立てて振った。




>> 北川すず <<
1948年東京生まれ・早稲田大学教育学部国語国文科卒