長屋のおばさんたち。あらためて見るとみんなけっこう身ぎれいにしている。貧乏暮らしとはいっても、母が言う「表長屋の住人」だからかもしれない。
手前右が正子伯母、その奥に小さく写っているのが母。この道の先にあった「玉の井パラダイス」のネオンがなくなっているので昭和33年以降の写真らしい。あるとしたら、正子伯母の頭の上あたりに見えているはずである。
中のおねえさんたちはいなくなったし、もうひとつのお得意だった「わが家の不良たち」も以前ほど来なくなった。彼らももうすぐ20歳になる。多佳たち高校に進んだ子たちも就職して社会人になった。中学から就職した子たちはすでに5年目の立派な社会人だ。
みんなあいかわらず旅行に出るたびにこけしを買ってきてくれる。これじゃあ今にこけし屋がはじめられるよと言いながら母はもうひとつ新しい人形ケースを買った。
あいかわらず入れ替わり立ち替わり顔を見せには来るが、それでももう押し合いへしあいして大騒ぎするようなことはなくなった。それぞれが一人前になって母のもんじゃ焼き屋に居場所を求める必要はなくなったということなのだろう。
銘酒屋のむすこだった吉田くんは店を閉めた親といっしょに引っ越していった。警察署長のむすこの小沢くんも父親の移動に従ってよそに移って行った。
ひとの行き来には流れというものがあるらしい。母のもんじゃ焼き屋に集まってきたのは多佳たちの学年を先頭にその2年下までだった。それより下の新しく中学生になった子たちは、2年前に立てつづけにできた新しいもんじゃ焼き屋に集まるようになった。
どちらももんじゃの台を何台も置いた本格的なもんじゃ焼き屋で、今ではその2軒が「中学生のたまり場」としてにぎわっている。
「もんじゃをやめておでんなんてどうだろうか。おでんだったら近所のおとなもおかずがわりに買ってくれるじゃないかね」
「おでんかぁ、あれもけっこう手間がかかるらしいよ。前の晩から大根やじゃがいもを仕込んでおかなきゃならないし、たまご茹でたり、夏はすぐ傷むし」
「夏はおでんはやめて、かき氷でもやるよ」
おでんにかき氷かぁ。おでんにかき氷ね。
わたしはこころの内でそう反芻する。おでんも好きだし、かき氷だって大好きだ。よそに食べに行けば20円30円するからそうめったに食べることが出来ないかき氷が家で食べられるのはうれしい。おでんがいつも家で煮えているのもうれしい。
うれしいけれど、うれしいけれど・・・。
と、わたしはまたまた反芻する。ただでさえごちゃごちゃした見栄えのしないお店におでんやかき氷まで加わるのか。それよりもなによりも、そこまであれこれ考えなければならなくなったわが家の生活事情はせっぱつまっているということだ。
母が仕入れに行き、正子伯母も来ていないときは、わたしはひとりで2時間も3時間も店番をする。こどものお客のときは気楽だけれど、おとなだとけっこう緊張する。特に量り売りで売っている豆のときは面倒だ。
さらに以前は分銅秤といって、一定の重さのある分銅をのせてその釣り合いで重さを計るものだったから、こどものわたしには扱いがとてもむずかしい。お客さんにじっと見られていたりすると冷や汗ものだった。
さらにさらに、手土産用に包装をしてほしいなどと言われると、冷や汗ものだった。
扱いがめんどうだった天秤ばかり。品物を乗せるだけで重さが計れた自動はかりに変わった時はほんとうにうれしかった。
しかしここで「できない」などと言ってお客を取逃がしたりしてはたいへんだ。お客さんの方でも冷や汗ものだったかもしれないが、ともかくも必死で、ときにはお客さんが見かねて手伝ってくれたりすることもある。小学校の2年になったころからそうやって店の手伝いをしてきた。高学年になってからは母に代わって一日の売り上げを帳面につけることもするようになった。
こんな小さな駄菓子屋でも、いくつかの業者から品物を仕入れていたから、週に一回か2回は集金日というのがある。最近はほとんどの集金日に、家じゅうのお金をかきあつめても支払額に満たないことが多くなった。そういうときはほんとうに情けない。
品物は売れているのだから売り上げもちゃんとあるはずで、売り上げがあれば支払いだってできるはずなに、その支払いのお金がない。理由は分からないけれど、確かにないのである。
几帳面で用心深い性格の父は、万が一火事にあってもとりあえず困ることがないようにと1メートルほどの麻ひもにぎっしり通した5円玉を押し入れの奥にしまっておいた。硬貨だったら火事にあっても焼けずに残ると考えたらしい。
5円玉は全て同じ向きに並べられ、1本がきっちり3000円ずつにまとめられていて、全部で20本ほどもあった。ずいぶんながいあいだ手づかずのままだったのに、いつの間にか一本残らずなくなっていた。
「おでんやって、夏の暑い盛りはかき氷を売るよ。それでも足りなけりゃ内職でもしようかね」
「そうだね、貧乏なんてうまれつき慣れっこだもんね、なんとかなるさ」
正子伯母の家も、わが家に負けず劣らずの生活苦だ。母の兄である伯父はこれまた腕のいい寿司職人だったが、戦争中に徴用された鉄鋼場の事故で右手の指を2本落としてしまった。指なしではすし職人に返り咲くことも出来ず、そのままその鉄鋼場の倉庫番として働いていて、その給料だけで3人の子どもとわたしの祖父母でもある両親と7人で暮らしている。
「そうだよね。なんてったって家は自分のものなんだから、住む所さえあればなんとかなるもんだよね」
そうだよね、なんとかなるよね。わたしはまたまたそう反芻する。母のいう通り家は自分のものなんだもの、そんなに心配することはない。去年裏の長屋に越してきた同じ年のひとみちゃんの家もおとうさんがいない。
しょんべん長屋とかナメクジ長屋とか呼ばれている、うちの長屋よりずっとひどいところだ。一日中日もささない風も満足に通らない部屋の畳は湿気で波打っていやなにおいがする。そんな長屋でもいくらかでも家賃を払わなけりゃならない。
ひとみちゃんおばさんが働いている中華屋さんの下働きは一日350円にしかならないそうだ。おばさんは内職もしてそれで家賃を払ってひとみちゃんとひとみちゃんのいもうとと3人で暮らしている。
それがほんとうに大変な暮らしらしいことはわたしの目からみてもよくわかった。ひとみちゃんのおばさんはときどきひと束のちり紙さえも「月末払いで」と借金して持ってゆく。
店の売り上げは少なくなったと言っても1日3000円、多いときは4000円くらいあった。母の話によれば儲けはだいたい2割だそうだから大丈夫、母のいう通りなんとか暮らしてゆける。わたしは少しほっとしてまた鉛筆を削りはじめた。
「ちょうだいな」
店先でか細い声がして「はいよ」と応えながら母が立ちあがった。おそろいのちゃんちゃんこを着たおんなの子がふたり手をつないで入ってきた。
「そうそう、きのう、みっちゃんが訪ねてきたよ」
ふたりのこどもは目移りしてなかなか欲しいものが決まらない。母は立ったまま正子伯母にそう声をかけた。トンガリみっちゃんは、整髪料で固めた前髪を一角獣みたいに突き立てていたのでそんなあだながついていた。
「みっちゃんって、あのトンガリみっちゃんかい? 刑務所に入ってたんじゃなかったのかい?」
「刑務所だなんてかわいそうだよ。刑務所じゃなくて少年院だったはずだ」「へぇ、刑務所と少年院はどうちがうんかね」
「さぁ、わたしも詳しくは知らないけど」
トンガリみっちゃんは「もんじゃ焼き屋の不良」のなかでは母もときどき眉をひそめるような手に負えないところのある子だった。中学を出た後恐喝だかカツアゲだかを繰り返して少年院に送られた。もんじゃ焼きの売り上げをかすめとったことも1度や2度ではなかった。
「おばさんにはさんざん迷惑をかけたけど、もうあんなばかなことはしない。まっとうに働くからおばさんもあんしんしてよ」
4畳半の上がり口に腰かけて、みっちゃんはちょっとはにかみながらそう言った。
「おれ、金ためて自分のトラック買って、自営の運送業やろうとおもうんだ」
トラックの運転手をしながら月々ちゃんと貯金もしているそうだ。
「ところであいつらはどうなったの? うまくいってる?」
たばこに火をつけるしぐさにも昔のふてくされた面影はなくなっていた。
「あいつらって、きいっちゃんと多佳ちゃんのことかい?あいかわらずどうしようもないよ、困ったもんだ。あんたでさえこんなに一人前になったっていうのに」
「ひどいな、おばさん。あんたでさえなんて言わないでよ」
みっちゃんは笑いながら、久しぶりにおれにももんじゃ焼き食べさせてよと言ってもんじゃ焼きの板の間にあがってきた。
「だってほんとだよ。まさかあんたがこんなにいい子になってうちに挨拶に来てくれるなんて思わなかったもの」
母が割烹着の裾で目頭を押さえながら鉄板のガスに火をつけた。おととしからもんじゃの火は練炭からガスに代わった。せっかくお金をかけて新しくしたのにやめてしまうなんて、わたしにはそれがちょっと残念だった。
「あんた、切りいかがすきだったよね。たっぷりサービスしてあげるよ」
母がそう言うとみっちゃんはそんなことまで覚えていてくれたんだとおおげさに喜んでいた。
「おれには多佳ちゃんはあこがれだったからなあ。きれいで元気がよくて頭もよくて。それにしてもあのふたりもしょうがないなぁ」
みっちゃんはいかにも訳知りの顔でそんなことを言い、おいしそうにもんじゃを3杯も食べて、おれの気持ちだからと千円も置いて行った。
「みっちゃんが一人前になって挨拶に来てくれたのはうれしかったけど、あのみっちゃんにそんなことを言われるふたりのことを思うと、なんとも情けなかったよ」
まだ何を買うか決めかねているちゃんちゃんこ姿のふたりのおんなの子を見下ろしながら
母が正子叔母に言う。
「ほんとだねぇ、みんないいおとなになったっていうのに、あのふたりだけはどうしようもないねぇ。困ったもんだ」
豆腐屋のラッパ。金属のリードが組み込まれているので大きな音がする。吹いても吸っても音が出るのだそうだ。
そろそろ五時になる。夕食の買い物に行く時間だと言って正子伯母が立ち上がった。
「そういえば、あんた、足のほうはすっかり治ったのかい?」
立ち上がりながら正子伯母が母に聞く。
「うん、もう、ほとんどいいようだよ」
母が右足をあげて、ソックスの上からくるぶしのあたりを右手でなでている。
「ちゃんと医者に診てもらえばよかったのに。医者に診てもらって治療費くらいふたりに出させりゃよかったんだ。湿布だけで済ませたりしちゃいけなかったんじゃないかね。あとで後遺症が出たりしたら困るよ」
「でも、もう、腫れもすっかり引いたし、痛くもないし」
母はサンダルをかたかた鳴らして足踏みしながら「大丈夫、ほらね」とくりかえした。
暗くなりはじめた空のどこかから豆腐屋のラッパが響いてきた。
「今夜は湯豆腐にでもするか」と伯母が言い、「うちもそうしようか」と母が言った。わたしはとちょっとがっかりしながら「湯豆腐かぁ」と思った。