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玉の井パラダイス

2013年3月20日 更新

第19話 喜一と多佳の醜い争い


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もんじゃ

B級グルメとしてしっかり市民権を得ているらしいもんじゃ焼きですが、よく知らない人のために一席。

「関東大震災の後、少ない食材で少しでもたくさん食べた気になれるようなもの・・・ということで登場した」と、ずっと昔の「マンガはじめて物語」というテレビ番組で見たことがありましたが、北斎の「北斎漫画」にも登場するという報告もあり、その発祥はよくわからない。

ただし、味付けがウスターソースなので、北斎の時代にすでにあったとしてもだいぶ違ったものだったことでしょう。

名前の由来は、生地の固いお好み焼きと違って、文字が書けるくらいゆるい生地だったので「文字焼き」と呼ばれた・・・という解説もある。

今ではキムチやらチーズやら豪華海鮮ものやら、無数のメニューが登場しているが、母のもんじゃ焼き屋では基本はキャベツに揚げ玉、それに桜エビ、切りイカ、青ノリ、たまごなどがトッピングとして加わる。いちばん安いのが湯呑茶碗ほどのお椀にキャベツと揚げ玉だけで5円、小ドンブリほどの大きさの器で10円、それにトッピング1種類ごとに5円か10円単位で加算されていったと思う。青ノリはフリーサービスだったかもしれません。ぐつぐつ煮えて来たら専用のステンレスべらですくって食べるのですが、これにはちょっとした技術が必要。食べ慣れないとなかなか難しいのです。徹底的に煮詰めて焦げる寸前でお煎餅状態になったのもおいしいです。

見た目はあまり美しくないので、気持ち悪がって食べない人もいるらしい。ちなみにウキペディアによれば、駄菓子屋ともんじゃ焼きはワンセットで存在していたということで、母がもんじゃ焼きをはじめたのもその例に習っただけなのかもしれません。


トンガリみっちゃんでさえ一人前になったのに、いちばん性格のよかったはずの喜一と、いちばんしっかりものだったはずの多佳だけがそうならなかった。父親の死を境に、喜一のこころはすこしづつ崩れていった。町のチンピラやくざと付き合いが出来、言葉使いやそぶりがどことなくなげやりに乱暴になっていった。多佳を「てめえ」と呼び、ささいなことで腹を立て、どなったり手をあげたりするようになった。

それが喜一の多佳に対する引け目の裏返しだということが多佳にはわからない。

喜一には多佳に勝るものがひとつもなかった。多佳はこのあたりでは名の知れた「よし川」の跡取りむすめで、喜一はといえば娼婦上がりだと噂される母親とのふたり暮らしの現場作業員だ。

頭のよさだって多佳にはかなわない。多佳が進んだ高校からすれば喜一の高校など問題にならないほどレベルが低かった。それでも無事卒業して船乗りの夢をかなえられたのなら喜一の引け目も解消されたかも知れなかった。

多佳は高校を卒業すると丸の内にある大手の商事会社に就職が決まって、しゃれたスーツに身を包んで出勤するようになった。

多佳の母親が喜一を快く思わないのも当然のことだった。多佳の家族から見れば喜一などどこの馬の骨かわからないチンピラにすぎなかった。通りで喜一に出会うことがあると多佳の母親は不快そうに喜一から目をそらしたりするらしい。

ふたりは三日と置かずにわが家にやってくる。来るのはいいけれど、来れば必ず言い争いをはじめた。

「てめえのおふくろもおふくろだよな。なんだ偉そうにふんぞり返って、何さまだって言うんだ」

酔った勢いで喜一が腹立ちをぶちまける。


「なによ、変な目でみられるようなことしかしてないからじゃないの。悔しかったらもっとまっとうになってごらんよ。だいいちうちの母親のどこが悪いっていうのさ。あんたのおふくろから比べりゃ、上等もいいところじゃないか」


多佳は喜一に輪をかけた強さで言い返す。


「てめぇ、おれのおふくろの悪口を言うんじゃねェ。今度言ったらただじゃおかねえからな」

「ふん、口先ばっかりの腰ぬけが、ただじゃおかないが聞いてあきれらぁ」

「うるせぇ、ばかやろ」


喜一が今にも飛びかからんばかりの勢いで怒鳴りだす。


喜一はどんなときにでも仕事だけは休まない。母親との暮らしを守ることをひとつの使命のように感じているらしかった。


「へっ、自分が先に言い出したんだろ。わたしのおふくろの悪口だって言わないでよ。てめえこそ何さまだって言うんだい。半やくざの道路人夫がエラソーに」


喧嘩の原因はいつもにたりよったりで、いつまでたってもどこにもたどりつけない輪の上を走りつづけているようだった。


「あんまりきいっちゃんの劣等感を刺激するようなことを言うもんじゃないよ。それでなくてもひがみっぽくなっているんだから」

母が見かねて注意することがある。


「なによ、おばさん、いつからあいつの味方になったの? わたしのどこが悪いっていうのよ。悪いのは喜一のほうじゃないのさ」


多佳はひとの忠告なんか素直に聞いたりはしない。母に小言を言われるたびに逆に腹を立ててぷいと出て行ってしまう。そしてまた2、3日すると何もなかったように「おばさぁん」とやって来る。


喜一に合わせるように多佳もしだいに崩れていった。商事会社はいくらもしないうちにやめ、つぎつぎと職を変えた。どこも2、3ヶ月で、上司や同僚と喧嘩して飛びだしてきた。


「ケツまくってでてきてやったよ、あんなところ。ほんとくだらないやつばっかりでさ、やってられないってんだよ」


そのたびに母に報告に来てそんなことを言って笑っている。「ケツまくって」は多佳の決め台詞のひとつだった。

会社の事務職はもちろん、エレベーターガール、受付嬢、化粧品のチャームガール、器量よしで頭のいい多佳にはいくらでも働き口があった。最近勤めたのは東京タワーのスーベニアショップだった。


昭和33年に完成した東京タワーは東京の新名所になっていて、外国人客も多かった。英語がすこし話せる多佳はその能力が買われてずいぶんいい条件で雇ってもらった。


「よかったねぇ、特技を生かせる仕事が見つかって。そうやって英語の力をつけていったら通訳にだってなれそうじゃないか。さすが多佳ちゃんだ、すごいねェ、立派なもんだねェ」


母は手放しでよろこんでいた。多佳もはじめのうちは張り切って出かけていたが、だんだん不満がふえていった。


「英語が生かせるとかいったって、しょせんただの売り子だもん、おもしろくもなんともありゃしない」


結局そこも2ヶ月でやめてしまった。今は気の向くまま「よし川」を手伝ってこづかいを稼いでいる。


エレベーターガールが若い女性の仕事としてもてはやされていた時代がありました。

仕事としてはつまらなかっただろうなと思いますが・・・。

多佳にも喜一にも近づいてくる異性がいくらでもいた。それがまたふたりの諍いの種になった。どちらが先だったのかはわからない。喜一は多佳が先だと言い、多佳は喜一が先だという。喜一にはバーや飲み屋で働くおんながつきまとい、多佳は金持ちの大学生や「よし川」の客と遊び歩くようになった。

母が喜一と多佳の痴話げんかに巻き込まれて足首を捻挫したのは母が正子伯母にもんじゃ焼きをやめようかと話していた3週間ほど前のことだった。夜半、すでにカーテンを引いて閉じた店のガラス戸を遠慮がちに叩く音がした。

「すみません、この先に住む安井ですけど」

どなた、という母の言葉に、おんなの人の声がそう答えた。店に下りて母が戸をあけると、年配のおんなのひとが厚手のカーディガンの打ち合わせを両手で押さえて寒そうに立っていた。


「立花荘の裏の安井です。こんなに遅く申し訳ないけど、お宅によく来ているおとこのひととおんなの人がうちの脇で喧嘩してるんです」


目を覚まして布団から半分這いだしていたわたしはまたかと思いながら柱時計に目をやった。時計はぴったり11時を指している。


「放っておこうと思ったんですけど、あんまりひどいもんだから。あれじゃあ今におんなのひと殺されちゃうんじゃないかと思うと怖くって。だからといって警察呼ぶわけにもいかないし・・・」

多佳と喜一の喧嘩はこのあたりでは有名になっている。しょうがないねェと言いながら母はそのたびにようすを見に出かけてゆく。遠くでやってくれればいいのに、いつもわが家の近くではじめるのだ。


「まぁ、またやってるんですか、困ったもんだ。ほんとうにすみません」


母が謝る理由はどこにもないと思うのだが、袢纏をはおると安井さんといっしょに出て行った。咲はぐっすり眠っていてピクリとも動かない。

わたしは大急ぎで起き出して、鴨居にかかったオーバーを引きずりおろしてそれを抱えたまま外に飛びだした。


喜一は平日は翌日の仕事にさしつかえるから酔っ払うほどにはお酒を飲まない。そういう分別はしっかりあったし、深酒さえしなければまずまず平和なのだ。ふつうに冗談を言って、笑って、もんじゃを食べて帰ってゆく。


かつての不良仲間のひで子がときどき甥のしんちゃんを連れてやってくる。しんちゃんはまだ1歳にならない、まんまる顔のかわいいおとこの子だ。生まれてすぐに父親に死に別れれて、ひで子の姉である母親といっしょに実家に戻って来ていた。


喜一はしんちゃんがかわいくてたまらない。抱いたりおぶったり、宇宙遊泳だと言って宙を泳がせたり、しんちゃんが来ると大騒ぎしてしんちゃんを手元から離さない。

しんちゃんは喜一の宇宙遊泳がだいすきで、喜一の手といっしょに宙に浮きながら、ほんとうにうれしそうにきゃっきゃと声をあげて笑う。

そういうときの喜一はわたしが大好きだったころの喜一のままだ。


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問題は土曜日の夜だ。喜一はどこかでさんざん飲んでふらふらになってやって来る。見計らったように多佳がやって来て、つまらないことで小競り合いになる。

それだけじゃ収まりがつかなくなって、外に出ていって派手な言い争いをはじめる。

ときには怒鳴り合い、つかみ合い、殴り合いになる。

喜一は酔うと目が据わって別人のようになってしまうし、お酒を飲めない多佳のほうは喜一のこととなるといつも気が狂っているのと同じだった。


真冬の真夜中の風は思わずちぢみあがるほど冷たかった。母のあとを追いながら抱えていたオーバーにあわてて手を通した。サンダルをつっかけた素足が寒さで痛くなるほどだった。

ひとふたりがすれ違えないほど狭い路地を抜けて10メートルほど行った先にたちばな荘がある。たちばな荘は最近できたばかりのモルタル作りの2階建てのアパートだ。その奥のほうから多佳の泣き声が聞こえてきた。泣きながら大声でわめいていた。

うす暗い街灯がひとつだけ灯った路地裏に多佳と喜一がいた。喜一が片手をふりあげて多佳を張り倒した。多佳がよろけて後ろ向きに倒れた。


「ろくでなし! ああ、何度でも言ってやるわよ。あんたは根っからのできそこないのろくでなしよ」


多佳は倒れたままありったけの声をはりあげる。まわりの家々は明かりを消してしんと静まりかえっている。この騒ぎじゃ寝てなんぞいられない。おそらく家の中で息をひそめてようすをうかがっているんだろう。

わたしも母の後ろに隠れるように立って、ふたりの姿に目を凝らしていた。


「そうやって毎晩飲んだくれて、おんなを殴って、サイテ―のサイテ―のサイテー野郎だ。ほんもののやくざにでもなんでもなっちまうがいい」

多佳はよろよろと立ち上がるとまた喜一に掴みかかっていった。


多佳はいつでもそうだ。長い髪を引きずりまわされ、血を流してふらふらになっても自分の方から折れたりしない。弱弱しく泣き崩れたりしない。ひどいめに合わされれば合わされるほど、いっそうたけり狂ってむしゃぶりついてゆく。


「さっきからずっとあんな具合なんです。もう、こわくてこわくて・・・」

安井さんが母に向かって小声で言った。寒さと怖さが入り混じって、声が震えていた。ほんとうに、今日のけんかはいつもよりさらにすごいとわたしも思った。


「ちょっと、あんたたち、いいかげんにしなさい」

母の声はふたりには聞こえない。


「バカヤロー!!!」


しがみついてくる多佳を振りほどこうとしながら喜一が怒鳴り声をあげた。振りはらわれて多佳はこんどはたちばな荘の板塀にぶつかった。どすんとにぶい音がした。

喜一のほうは多佳を振り払った勢いで2、3歩ふらふらと後ずさりして同じくどすんと音を立てて電柱にぶっつかった。


「いったい何時だと思ってるの。まっとうなひとたちはね、もうとっくに布団に入ってる時間なんだよ。喧嘩するのはかまわないけど、ひと様の迷惑にならないところに行ってやりなさいよ」

母が駆け寄ってふたりのあいだに割って入ろうとした。


「おばさんには関係ないでしょ、よけいなおせっかいしないでよ」


多佳が母を押し返した。


「なに言ってるんだい。こんなことはねまともな人間のすることじゃないよ。そんなに喧嘩したかったら交番の前にでも行ってやったらいいじゃないか」


母が母の胸を突こうとした多佳の右手を掴んだ。


「なによ、おばさんなんか何もわかっちゃいないくせに」

今度は母と多佳のもみ合いになった。多佳は母に掴みかかりながらおいおいと大声で泣きはじめた。


喜一は腑抜けたように電柱にもたれかかってずるずるとそこにしゃがみこんでしまった。ウエーブのかかったくせっ毛はくしゃくしゃにほつれて、皮ジャンの下から派手な柄もののシャツがはみだしている。

街灯の下でだらしなくのびきった姿には、以前の喜一の面影なんかどこにもない。ただのだらしない酔っ払いでしかなくなっていた。


「ああ、わからないね、あんたたちのような気違いどものやることは。だけどわたしの目の届くところでこんなことされちゃ困るんだよ。なんだい、いい年して、みっともないと思わないのかい」


母は多佳の手を掴んだまま放さない。


「離してよ、おばさん、離してったら。わたしなんかどうなってもいいんだから。わたしなんか殺されたっていいんだから、放っておいてよ」

多佳は泣きわめきながら母に掴まれた手を振りまわした。


「なにバカなことを言ってるんだい、あんたがどこでどう死のうが知ったこっちゃないけどね、こんなところで人殺しがあったんじゃ、他人さまのいい迷惑だ。ふたりそろってまったく情けない」


母は本気で腹を立てて声がうわずっている。


おかあさんやめて、わたしはこころのなかでそう叫んだ。おかあさんだってみっともないよ、あんなひとたちといっしょになって大声あげて。ほうっておきなよ、ふたりともほんとに気違いだよ、ほうっておきなよ。

母がよろけてふたりは折りかさなって倒れた。倒れたまま多佳はこどものように声を張り上げて泣きつづけている。

上半身を起こして立ち上がろうとした母が「あっ」と声をあげてまたその場にうずくまった。多佳と母のサンダルが黒い土の上にひっくりかえったまま転がっていた。


「ばかだよ、まったく。あんな連中のことなんか放っておきゃよかったのに」


翌朝正子伯母が来て、あきれ顔で言った。母は湿布薬を貼った右足を投げ出してちゃぶ台に寄りかかっている。


「どんなに気にかけてやったって感謝ひとつされるわけじゃなし、かかわるほうがばかっていうもんだ」


母は投げ出した足の向きを変えようとしてイタタと顔をしかめたきり何も言わない。自分に怒っているのか、多佳や喜一に怒っているのか、正子伯母に怒っているのか、肩を落として口を尖らせている。


おばちゃんの言うとおりだとわたしも思う。ゆうべは痛がって起き上がれない母を安井さんのおばさんとふたりで支えながら連れて帰ってきた。安井さんのおばさんは、自分がよけいな声をかけたばかりにと、ずいぶん恐縮していた。

あのあとふたりがどうなったかは知らない。喜一と多佳には迷惑を掛けられているばかりだ。

今朝だって立つこともままならない母に代わってわたしが店を開けた。朝ごはんの用意もした。ただの捻挫らしいけれど、いつになったらちゃんと歩けるようになるんだろう。

自転車で仕入れに行くなんてもちろんできっこないし、掃除や洗濯やご飯作りだって、とうぶんわたしがやることになるだろう。

「骨でも折れてるんじゃないかい。ちゃんと医者にみせたほうがいよ」

今日は日曜で医者も骨接ぎもやっていない。

「骨は折れていないと思うよ。ほら、指だってちゃんと動かせるし」


母は畳の上で投げ出した足の指を動かして見せた。湿布と包帯に包まれていても、足首が腫れあがっているのがよく分かった。


「ばかだよね、おまえのかあちゃんは」


正子伯母は帰りがけに、今度はわたし向かってそう言った。わたしはなんとも答えられなかった。

正子伯母のいう通りだ。ふたりが母に感謝なんかこれっぽっちもしていないこともほんとうだし、そんな二人にいつまでも付き合っているのも馬鹿だと思う。

思うけれど、そう言われるとなんとなく母が気の毒なような気がしてくる。


母にとってはもちろん、わたしにとっても喜一も多佳も家族のようなものだ。どんなに迷惑と思ってもやっぱり知らん顔はできない。その気持ちはわたしも同じだった。



>> 北川すず <<
1948年東京生まれ・早稲田大学教育学部国語国文科卒