2枚の写真は「旧玉の井駅」と「玉の井の古い写真」ですが、アーチのある写真はアーチも建物も旧玉の井にしては立派すぎるので、吉原などの本格的な遊郭のものではないかと思われる。
このお話のはじめころ、小学校1年だったわたしはクラスのおとこの子に「すずの家はもんじゃ焼き屋で不良のたまり場だ」と言われて、すっかりしょげかえって玉の井パラダイスのアーチをくぐっていったのだった。
そして、中学生になったある日のわたしも、やはりおなじくらいしょげて、すでにアーチの取りはらわれた交番の脇道を入って行った。
あとから走ってきた英ちゃんが明るい声で「バイバイ」と声をかけて自分の家のある路地に入って行ったときもろくに返事をしないほど落ち込んでいた。擦り切れた靴のつま先までがしゃくにさわった。
「きのう、君の家の前まで行ったんだよ」
今朝教室に入って席に着いたとたん、クラス委員の戸川くんがわたしのそばに来てそう言った。わたしはぎょっとして一瞬動きが止まってしまった。
「ぶらぶら歩いてたらいつのまにかいろは通りに出ちゃってさ。そしたら映画館の前で滝田さんにばったり会っちゃって、ついでに君の家を教えてもらったんだ。
せっかくだから声を掛けて行こうかと思ってちょっとのぞいてみたんだけど、いなかったみたいでさ」
いっしょにクラス委員をやっているというだけで、そんなに親しくもない戸川くんがどんな気まぐれでわたしの家を見てみようと思ったのか、わたしに声を掛けて行こうなんぞと考えたのかはわからないが、血の気が引くというのはこういうときのことを言うのだ。
映画館の前で滝田ひろ子に会ったというのだから映画館とお寺に挟まれた道から入ってきたに違いない。
交番のほうから入ってきたのであれば幅3メートルもない道路からはわざわざ見上げなければわたしの家がすっぽり視野にはいることはないけれど、映画館からの道に立てば上から下まで丸見えだ。
飴やガムの籤や風船などにまじってたわしやはたきにハエ叩きまでぶら下がったごちゃごちゃした駄菓子屋の店先も風にはためく二階の破れ障子もみんな見られてしまったに違いない。
二階の幅一間の窓は今どきめずらしい障子窓だ。雨戸はついているが不意の雨風に当たれば障子紙はすぐに破けてしまう。忙しい母はめったに張り替えなどしない。
障子がまっさらにピンとしていることはまれで、日に焼けて黄ばんだ雨のシミが浮きだした障子紙は四角い桟に沿ってはがれて風にはためいている。
ほとんど手入れをしていない築50年のボロ屋に見事に釣り合って、まるで陸に打ち上げられた難破船のようだった。
広小路の通りに面した大きな紙問屋のこどもである戸川くんにあの家はどう映ったろう。
あんな家のこどもだったのかと同情したりはしなかったろうか。
この周辺の似たような家に住んでいるこどもだったらいざ知らず、戸川くんのようなクラスメートには見られたくなかった。
見栄っ張りだと笑われそうだが、あの家に住んでいることはわたしにとってはおおいなる屈辱だったのだ。
わたしは答える言葉をなくして、つんと顔をそむけて、カバンから教科書やノートを取り出し、それを机の中に丁寧に納めると戸川くんの存在をいっさい無視して国語も教科書を広げてそれを読みはじめた。
読みはじめたと言っても、実際にはなにも読んでなんかいない。頭の中には、あの難破船のような家と、難破船を見上げている戸川くんのびっくり顔がぐるぐるまわっていた。
早く言えば、これがわたしの最初の失恋だった。
「戸川くんが好き」は一瞬にして「戸川くんなんか大きらい」に変じて、わたしなりにひどく傷ついていた。
道の途中まで来た時、わたしの家から男がふたり出てくるのを見た。ひとりは背広姿で、ジャンパーを羽織ったもうひとりは大きなカメラを肩に担いでいた。
「まずまず当たりということでいいんじゃないですか」
「まぁ、外れても、特にどうということでもないしな」
ふたりはそんなことを言い合いながらいろは通りに向かって歩いて行った。またどこかの雑誌社の取材だろう。
「赤線玉の井」は消えてしまった今でも、というより消えてしまった今だからかえってひとのこころをそそるらしい。
「玉の井残像」なるものを求めてカメラをぶらさげてうろうろしている男の姿をよくみかける。
いかにも「文学散歩」といった男女のグループがものめずらしそうにあたりを見回しながら通り過ぎることもある。
しばらく前「ゴーストタウン玉の井」というタイトルでテレビで放映されたことがあった。
真っ昼間、ひとけのないいろは通りを裏の屑屋のおじいさんがリヤカーを引いて歩いている場面がタイトルといっしょに映し出された。
柄が半分取れかかった分厚いメガネをかけたちょっとボケかかったおじいさんがまわりのことなどいっさい目に入らないようすで口をもぐもぐさせてぼんやり空を見上げながらリヤカーを引く姿はまさに「ゴーストタウン」そのものだった。
いくらなんでも「ゴーストタウン」はひどいと思ったけれど、赤線がなくなった玉の井はそんなふうにときおり世間に思い出されるらしかった。
上目遣いに自分の家の二階を見ると、母が風を通すために開けたのだろう、障子窓が半分開いていた。
よく晴れた穏やかな日で障子ははためいてはいなかったが、オンボロであることには変わりなかった。
あんなに破れているんだもの開けても閉めてもおんなじじゃないか。
忙しいといったってあんなにタバコをふかしてる暇があるんだもの、たまには障子貼り替えくらいしたっていいのに。
わたしは安っぽい色でいっぱいになった店の中に、地団太踏みたい思いで入って行った。
「あっ、すずちゃん、お帰り」
奥から里子さんの元気のいい声が飛びだしてきた。上がり框に里子さんと母が腰かけていた。店の中にはちいさいこどもがふたり買うものを選びかねて佇んでいる。
またこのふたりか。わたしはますます気が滅入ってくる。5歳と3歳くらいのおとこの兄弟で毎日2回一円玉をひとつずつそれぞれの手に握りしめてやってくる。
一円で買えるものもあるにはあったが、いつもそれ以上のものを欲しがって
「それは買えないのよ」と言わなければならないのが、
意地悪な駄菓子屋のおねえさん役を振りあてられたような気がしてほんとうにイヤだ。自分も五十歩百歩の貧乏人の仲間だと思うといっそう腹立たしい。
一度やってくるとああでもないこうでもないと20分か30分は粘ってゆく。
親にしてみれば1回2円で体のいい「こども追い出し作戦」だ。
しかし、2円で30分も時間をとられるこっちはたまったものではない。
この一家はしばらく前に関西方面から奥のボロ長屋に越してきた。
このあたりはけっこう人の出入りが激しかった。新しい住人はこんなところにしか住めなくなってやってくる。落ち葉が風に吹かれて片隅に吹きだまるように集まってくる。ここはまさに食いっぱぐれた人間の吹き溜まりの土地なのである。
ほかのこどもたちは「ちょうだあい」とやってくるのにこのふたりは「おくれぇ」と言いながら入ってくる。そのねばったような関西弁も気に食わなかった。
「すずちゃん、ビッグニュース、この家が雑誌に載るんだってさ。今そこで男二人と行き違っただろ? それがその雑誌社の記者とカメラマンさ」
ガラス鉢を片手にトコロテンを口に持って行きかけた手を止めて里子さんが言った。里子さんの声はいつもおもいきり明るい。
「永井荷風がね昔この家の2階に間借りしてたことがあったらしいんだって。『墨東奇譚』をここで書いたんじゃないかっていうんだよ、ほんのちょっとのあいだのことだったらしいけど。 今度その雑誌社で荷風特集というのを組むことになってあっちこっち回って歩いてるらしい。
玉の井の二階家のひと間を借りたっていう記録がどこかにあってね、そのころこの並びじゃ二階建はここだけだったそうだ」
母がわたしにそう説明する。
「すごいじゃないか、この家が雑誌に出るなんてさ」
里子さんは残り少なくなったトコロテンをずるずる音をたてて掻き込みながらそう言う。
わたしには里子さんの言うようなすごいニュースとは思えない。雑誌に載ったところで何になるだろう。
ひとに見せて自慢できるような家じゃなし、できたら誰の目にも触れさせずにおきたいくらいのものなのだ。
今日も今日、戸川くんにこの家を見られたことを知って、胃がひっくりかえるほど情けない思いをしたばかりなんだから。
玉の井は荷風の小説である種の特別な輝きを持った町になったけれど、それは架空の世界の輝きであって、現実の玉の井が輝いたわけじゃなかった。
それと同様、荷風がここに寝起きしたことがあったからって、この家が立派に変身するわけじゃない、値打ちが上がるわけでもない。
「それで、もう、写真撮って行っちゃったの?」
さっきのおとこの肩にかかったカメラのことが気になった。あの中に破れ障子の難破船がすでに収まっているのだろうか。
「それがね、少し暗くなってからの方が雰囲気が出ていいだろうってことになって、また出直してくるそうだ」
わたしは胸をなでおろす。暗くなってからのほうが雰囲気が出るなんて、真昼間に撮ったんじゃあんまりみすぼらしすぎるからに決まってるじゃないか。
そうだ、母をせっついて今夜のうちにせめてあの障子紙だけでも張りなおしておかなきゃ。
「それでそのナガイとかってひとはそんなに偉いのかね、雑誌で特集するようなさ」
「偉いさぁ、有名な作家で文化勲章なんかももらってるんじゃなかったかね。
「あれ、文化勲章は幸田露伴だったか・・・」
「でもさ、そんな偉い先生がなんでまたこんなところまで来て間借りしなきゃならなかったのさ」
里子さんはうつむいてガラス鉢の中に残っているトコロテンのカスを熱心にすくいながらひとり言のように言う。
トコロテンの半透明のかけらは酢醤油のなかで逃げ回ってなかなか思うように箸に引っかからない。
「ずいぶん変りものだったらしいよ。浅草のストリップ小屋に入り浸りだったこともあるらしいし」
「なんだ、すけべじじいか」
里子さんは肩をすくめてふふっと笑った。
ショーケースに寄りかかって里子さんを見下ろしていたわたしの鼻先に酢の匂いがして、口の中まで酸っぱくなってきた。
里子さんはトコロテンが好きで毎日のようにやってきてはトコロテンを食べ、母といっしょにたばこをふかして、お店がはじまる前のいっときを過ごしてゆく。
里子さんがはじめてここにやってきたのは7、8ヶ月前のことだった。
竹の大きな買い物かごを下げて豆の入ったショーケースをややしばらくじっと眺めていた。母が出てゆくと「ちょっとあじみさせてもらっていい?」と言うなり勝手にふたをあけて バタピーナツをひと粒口にほうりこんだ。
「ふーん、値段もいいけど、味もなかなかのもんだわ」
ふむふむといった感じでさとこさんがうなずきながら言うと、母は母で
「そりゃそうさ、こんなたいしたことない店だけど、豆だけは神田の老舗から仕入れてる特級品だからね」とちょっと棘のある言い方をした。
里子さんはそんな母の棘にまったく気がつかないようすでやっぱりふむふむとうなずきながら、自分はついこのあいだこの通りをつきあたって左に折れてふたつめの通りをさらに右に折れたところでちいさな小料理屋をはじめたのだけれど、そこでお客さんに出すおつまみになるものを探している。支払いを焦げ付かせるようなことは絶対しないから月末払いでおろしてもらえないかと言った。
母ははじめそういう商売の仕方はしたことがないからとちょっと渋ったが、母が次に発した「あんた、ひょっとして、新潟?」という言葉でけりがついた。
「あら、わかるの?」
「そりゃわかるさぁ、故郷だもの」
「わたしは西頸城郡よ」
「おやまぁ、お隣さんだ。わたしは東頸城の大島村」
「あらまぁ、わたしんところもどん詰まりだけれど、東頸城といったらどん詰まりのさらにどん詰まりじゃなの」
「そうだよ、どん詰まりのどん詰まり、その先には山しかないようなどん詰まりよぉ」
「ほんと、ほんと、どん詰まりで、大雪が降るのよねぇ」
「そうそう、あの雪のすごさったら、見たことない人にはわからないよねぇ」
「新潟の雪は音もなくどころか、ゴウゴウドカドカ、音を立てて降るのよね。
東京に降る雪なんか、雪とは言えないわよねぇ」
「なつかしいねぇ、あの怖いほどの雪の音」
「うれしいわぁ、ここでそんな話ができるなんて思わなかったわ」
わたしは母の郷里に行ったことがなかった。7メートルも8メートルも積るという、ごうごうどかどか音を立てて降るという雪も、母の話でしか知らなかった。
同郷だということはほんとうにうれしいことらしく、ふたりは意気投合、それ以来すっかり仲よしになって、里子さんは今では半分家族のように行き来している。