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玉の井パラダイス

2013年8月5日 更新

第28話 愛憎の果てに


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あの頃の多佳を花にたとえるならこの花と思っていた

機械屋の二階で暮らしはじめて、案の定、一カ月もしないうちに多佳は足のむくむ病気にかかって蹴飛ばしの仕事ができなくなった。

多佳はこれまでも「よし川」の手伝いでときどきお小遣い稼ぎをしていただけだったから蓄えというものをほとんど持っていなかった。そうなるとそこに間借りしていることもできなくなって、見かねた母が「じゃあ、うちにおいで、困った時はお互いさまだもの」と多佳に言った、らしい。

「来週、多佳ちゃんがここに越してくるから、いいよね」

そう母に言われたわたしは、まさに「へっ???」だった。ここってどこよ? 多佳ちゃんがどこに住むっていうのよ?


わたしはこのとき中学3年。高校受験を控えた1学期の後半だった。今なら受験を控えたこどもを持つ親は、まるで腫れ物に触るようぴりぴりしているものだろうが、その頃の親はそういうことにけっこう無頓着だった。

ともかくも母はわたしの受験のことなんかまったく意に介していなかった。勉強なんかしなくったって高校くらい受かるさ程度に思っていた。


そのころ、母が下の4畳半に、わたしと咲が二階の6畳間に寝起きしていた。他に部屋といえば6畳の奥に2畳の小部屋があるきりで、そこは荷物がぎっしり詰まった物置になっていて、多佳が寝起きするといったら、2階の6畳間にわたしたちといっしょしかないのである。が、母にそう言われてわたしも「へっ???」とは思ったものの特別いやだとは思わなかった。


銘酒屋がなくなっていらい下降線の一途をたどっていたわが家の暮らしは、ますますひどくなる一方だった。わたしが中学生になるころから、どの家庭にもテレビが置かれるようになって、映画産業もわが家と同様左前になって行った。


土曜日曜ともなると立ち見はあたりまえ、次の回を待って表に行列ができたほどだった玉の井映画館も客足がどんどん遠のいて、わたしが中学1年のときに、東映から大映の上映館に代わった。それでもやはり客を呼べないまま、わたしが中学3年になるとほとんど同時に、映画館を廃業して、スーパーマーケットに転身した。


わが家の駄菓子屋には、これは決定的な打撃だった。同じものが1円でも2円でも安ければお客はスーパーに行ってしまう。太田垣の豆類はもちろん、ばら売りのお煎餅も、ビスケットも、副業だったたわしやちり紙や石けんといった雑貨類もほとんど売れなくなった。

お客と言えば、1円玉、5円玉、せいぜいが10円玉を握ってやってくるちいさなこどもたちだけになった。

朝早くから夜遅くまで店を開けておいても、おでんを含めて売り上げは2000円にもならなかった。純利益は売り上げの1割5分か2割だそうだから、1日300円前後、おむつのフック付けや、おもちゃのシール張り、造花作り・・・いくつもの内職を掛け持ちしても、食べてゆくのがやっとの収入にしかならず、お先真っ暗な暮らしがつづいていた。


そんな状態だったから、威勢のいいにぎやかな多佳が家族の一員に加わったらなんとなく空気が新しくなるようなそんな期待があったのだ。


引っ込み思案で他人の顔色をうかがってばかりいるようなこどもだったわたしには、誰にどう思われようと平気の平左、誰に遠慮も気兼ねもなく言いたいことを言って、したいようにしていられる多佳がうらやましかった。


「このあいださ、バキュームカーがうちの前に止まってて、窓を開けておいたもんだから 臭いがぷんぷん漂ってきて、思わず大声で『臭せえな』って大声で言っちゃったら、汲み取り屋のおじさんに聞こえちゃって『てめぇのクソだって入ってんだよ』って怒鳴り返されちゃたよ」

多佳はこんなことを言ってけらけら笑っていられるのだ。汲み取り屋さんに「臭せえ」なんて言えるのもすごいし、怒られて笑っていられるのはもっとすごい。

多佳は自分をよく思われたいよく見せたいというところが少しもなかった。それが多佳のおおきな美点といえば美点だった。

あんな風にしたいようにできたらいいなといつも思っていたから、多佳がわが家にやってくるのは不満よりむしろうれしさのほうが勝っていたような気がする。

2階の6畳間にはタンスが2棹とわたしの机と本箱が置いてあった。そこに多佳のタンスと三面鏡と衣装ケースが加わると壁面はすべて家具で覆われて、あとは布団を3組、端を重ねて敷くのがやっとの広さしか残らなかった。


それでも、太郎次の代からの古びたタンスが並んだくすんだ部屋に多佳の真新しい家具が加わるとなんだか部屋そのものが明るくなったようだった。

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修理に出して蘇った太郎次のタンス2棹

「よし川」のむすめである多佳は衣装持ちで、タンスには上等そうな着物がぎっしりつまっていた。着物だけでなく、ハンカチや靴下やアクセサリーや手提げバックやらきれいな小物がびっくりするくらいたくさんあった。


さらに多佳には水戸街道沿いで、小売りを兼ねた大きな化粧品問屋をやっているおじさんがいて、そこからもらってきたありとあらゆる化粧品や小物や香水の小瓶などが、三面鏡の引き出しにこれまたびっしりつまっていた。

多佳のいないとき、こっそりその引き出しを開けてみるのがわたしのひそかな楽しみになった。欲しいとは少しも思わなかった。ただ、そういうきれいな贅沢品が自分の身近にあることがうれしかった。

多佳との同居はもちろんいいことばかりではなかった。これといった仕事もなくすることのない多佳は9時になると寝てしまう。わたしは電気スタンドに風呂敷を巻いて光が外に漏れないようにした。ノート1枚めくる音にも気を配った。


多佳は多佳でそんなわたしに気を使って、ときどき手持ちのハンカチや小物をくれたりした。きれいなレースや刺繍のハンカチは中学生のわたしには使い道もなく、もらってもたいしてうれしくはなかったが、多佳との暮らしは取りたてて波風もたたずまずは順調に過ぎて行った。


収入のない多佳は自分の持ち物を売り食いしていた。うちに来たときはタンスいっぱいに詰まっていた着物や帯が少しずつ姿を消して行った。


「ひとりじゃかっこわるいから、すずちゃんいっしょに行ってよ」そう言われて何回かいっしょに質屋ののれんをくぐったことがあった。高価そうな着物や帯が、びっくりするくらいの安値で買い取られて行った。

「今日は思ったよりよけいに金になったから、なにかうまいもんでも食べていこうよ」


多佳はときどきわたしを食べ物屋に連れて行った。質屋からもらったお金で食べるあんみつやアイスクリームは胸につかえるばかりですこしもおいしいと思えなかった。


「多佳ちゃん、これからどうするの?着物だっていつまでもあるわけじゃないし、何か仕事をはじめたら? あんな『蹴飛ばし』みたいなことじゃなくて、もっとちゃんとした仕事を」

わたしには行き当たりばったりの多佳の暮らしぶりが不安だった。

多佳はこのときまだ23歳、若くてきれいで英語ができて簿記の免状だって持っている。その気になればどんないい仕事だってできるはずだ。中学生のわたしにそんな説教めいたことを言われても、多佳はただ「へへっ」と笑うだけだった。

先のことをまったく考えずに平気でいられることがわたしには不思議だった。

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太郎次のタンス部分。 装飾もそれなりに凝ったものなのだ。

しばらくして多佳は封筒張りの内職をはじめた。よりによってなんでそんな内職をはじめたのかはわからない。若くてきれいな多佳が畳の擦り切れた2階の6畳間で封筒張りの内職に精出している姿はなんともいえず奇妙な光景だった。


「ハイ、50円分できあがりィ」

なんぞと言いながら部屋いっぱいに封筒を広げ、職人気取りで刷毛を振るう。多佳にとっての内職は半分暇つぶしの遊びみたいなものでしかなかったようだ。

多佳との暮らしで、耐え難いことがひとつだけあった。

多佳がわが家に来て2ヶ月もすると喜一がやってくるようになった。

表から堂々と入ってきて多佳を呼ぶのならそれはそれで少しもかまわなかった。

刺青騒ぎのとき、こんなところ二度と来るもんかと大見得を切った手前、母に顔を合わすことの出来ない喜一は、階下の電気が消えて母が寝込んだころを見計らってやって来て、2階のガラス窓に向かって石を投げた。


わたしの苦の種だった2階の障子窓は、前の年母が大奮発してガラス戸に代わっていた。深夜、喜一はそのガラス戸をめがけて小石を投げる。多佳も咲もとっくに寝ていて、起きているのはわたしだけだ。


「コツン」


窓ガラスに小石の当たる小さな音を聞くたびにわたしはどきっとした。


「また、来た」


こころの中でつぶやきながらわたしは唇をかみしめる。ここはわたしの家でありわたしの部屋である。その部屋に向かって喜一のような酔っ払いが石を投げている。


石を投げて人を呼び出すなんて、ほんとうに、ほんとうに失礼なことじゃないか。

母があれほど喜一たちのためにこころを砕いてやっていたのに、その家につばを吐きかけるようなことをしている。

おんなばかりの家族だと思って小ばかにしているとさえ思ってしまう。このときほど喜一を憎たらしく思ったことはなかった。

わたしはじっと身を固くして耳をすませる。窓の下にひとの気配がする。

「コツン」

もう一度小石が当たる。そう簡単に思い通りにしてなんぞやるもんか。

「コツン」

また石を投げる。


知らん顔していれば喜一はいくらでも石を投げつづける。投げる小石がどんどん大きくなってゆくのがわかる。わたしは静かに窓を開ける。


暗がりの中で喜一がこちらを見上げて立っている。わたしはありったけの怒りをこめて喜一をにらみつけるが喜一からはわたしに顔なんて見えていない。


「ちょっとぉ、多佳、呼んでよ」


喜一は決まって酔っ払っていた。横柄な命令口調で言う。お酒の力を借りなければ何も出来ない気のちいさなおとこなのだ。

わたしは喜一を見下ろしたまま答えない。できるものなら「二度とくるな、このバカヤロー」と怒鳴りつけてやりたいくらいだった。


「どうしたの? 喜一が来てるの?」

多佳が目をさまして聞く。

「さぁ、よくわからないわ、たぶんそうだと思うけど・・・」


わたしはそっけなく答える。


「ちぇっ、しょうがないなぁ」

多佳はめんどうくさそうに舌打ちするが、それはわたしに対する言い訳でしかない。行かなければいいのにと思うけれど、どんなときでも必ず身支度をして出て行った。


「すずちゃん、悪いわねぇ、すぐ帰ってくるつもりだけど、すずちゃんが寝るまでに戻ってこなかったら鍵かけて寝ちゃってね」


わたしは多佳のあとについて階下へ下り、多佳を送り出して鍵をかける。2時間ほどで帰ってくることもあれば、朝まで帰ってこないこともあった。多佳が出て行った夜はわたしはいつまでも寝付くことができなかった。

ときどきは母も起きだしてきて「しょうがないねぇ」とは言うもののそれ以上は何も言わなかった。


わたしも、母にも他の誰にもそのことを口にしなかった。いやでいやでたまらなかったけれど、そのころのわたしはまだ、何がどんな風にいやなのか自分の気持をきちんと人に伝えることができる言葉を持っていなかった。


わたしにはそのときの多佳と喜一の関係がとても汚らわしいものに映っていた。その汚らわしさの一端に自分も組み込まれている気がして、それがたまらなくいやだった。




>> 北川すず <<
1948年東京生まれ・早稲田大学教育学部国語国文科卒