あの夜のことは今でもときどき夢に見ることがある。
ろくな草木もないようなこの町でも、秋になるとわずかな草地を住みかにしてコオロギやカネタタキがいかにも細々と頼りなげに鳴き始める。その虫の音も間遠になったある夜、多佳ははじめから約束ができていたらしく、ほとんど正装と言ってもいいほど華やかな総柄の着物に明るい臙脂の道行きを羽織って9時ころ出かけて行った。
「帰りはどうするんだか知らないけど、今夜あたりはそうとうに冷えそうだからショールでも持っていった方がいいよ」
「そうかな、それじゃあ持ってゆくか」
母に言われて、多佳はめずらしく素直に二階に駆け上がると、淡いクリーム色のショールを持ち出してきた。
「これなら、どう? いっそ手袋も持っていこうか」
ショールを肩に掛けながら多佳は気どってくるっとひと回りした。
「それなら十分だろう。どこから見たっていいところのお嬢さんか若奥さんだ。いつもそうしているといいのにね」
「あら、それはおばさんだっておんなじよ、おたがいさま」
母にそう言い返して、多佳はわたしに向かって「へへっ」と舌を出して笑った。ぼさぼさ髪の立て膝で封筒張りをしているときの多佳とはまるで別人だった。
わざわざあんなかっこうで出かけて行ったんだもの、今夜は帰って来ないだろうと言って母は早々と鍵を掛けて寝てしまった。
が、帰ってこないと思っていた多佳は深夜2時近くになって戻ってきた。ふだんは遠慮がちにそっと戸を叩くのに、その夜はまるで体当たりでもしたかのようにお店のガラス戸がどんどんガシャンと音を立てて、わたしはあわてて階下に駆け下りて行った。
母が先に起きだして戸を開けると、多佳は「おばさん、助けてぇ」ともつれる口でそう言いながらふらふらっと入って来るなり上がり框に倒れ込んだ。
はじめは物取りか強盗にでも会ったのかとぎょっとしたが、ただ酔っていただけだった。
多佳はめったにお酒を飲まないのでほんのわずかな量で酔ってしまったのかもしれないが、倒れ込んだまま起き上がることができないほどの酔っ払い振りだった。
道行きが半分脱げかかって、羽織っていったはずのショールはどこにも見当たらなかった。
「苦しい、おばさん、助けててぇ、あぁ、苦しい」
そう呻きつづける多佳を母とふたりで部屋まで引きずりあげた。正体をなくした多佳のからだはずしりと重たく、そのくせ妙にふわふわと柔らかく、軟体動物でもつかんでいるような感触だった。
「まぁ、なんだろうね、こんなになるまで飲むなんて。きいっちゃんはどうしたの、いっしょだったんじゃないのかい」
「知らないよ、あんなやつ、さっさとおっちんじまえばいいんだ」
息も絶え絶えながら、喜一の悪口は忘れない。
母が水を持ってきて、多佳の口元に持っていった。わたしはもちろん母だって酔っ払いの世話などしたことがなかった。
多佳は湯のみを片手で受け取ると「ぐぐっ」と音を立てて一口水を飲んだ。まっ白な喉元がそのままいくらでものびてしまいそうなほどキューっと伸びて、多佳の手から湯のみが転がり落ち、水が飛び散った。
「ごめんねぇ〜〜〜」
多佳は畳の上に両手を突いて、起き上がりかけながらそう呻くように言った。
「わたし、もう、ほんとうに、どうしたらいいかわからない」
それから、いきなりわたしの手を掴んで
「すずちゃん、ごめんねぇ〜〜〜」と言った。
いきなり手を掴まれて、わたしは後ずさりしながら多佳の手をはずそうとしたが、多佳はますます強くつかんで離さない。多佳の手はびっくりするほど冷たく、その冷たく細い指がわたしの手首を絞めつけていた。
「ごめんねぇ、すずちゃん、ごめんねぇ。こんなに迷惑かけちゃって、わたし、どうしたらいいか、わからない、ごめんねぇ、ほんとに、もう、どうしたらいいのか、わからない。ごめんねぇ、ごめんねぇ」
わたしの手を掴んだまま、身もだえしながら狂ったようにそうくりかえす。
「わかったよ、いいからもう黙んなさい、近所に迷惑だからさ」
母の言葉は多佳には聞こえない。多佳は息も絶え絶えにあえぎながら「ごめんねぇ、すずちゃん、ごめんねぇ」と泣き声のあい間にくりかえす。なぜ母にではなくわたしに謝っているのかはわからなかった。
他人のことなんか気にしないようには見えても、多佳は多佳なりにわたしに気兼ねしていたのかもしれない。
臙脂の道行きは片袖だけ通したかっこうで脱げかかって、鮮やかな朱色の地に色とりどりの小花を一面に散らした着物姿で多佳はわたしの膝もとにうずくまって泣いていた。
泣き声に合わせて多佳の背中が大きく波打ち、身もだえしてのたうちまわっていた。
きれいに束ねてあった長く黒い髪がほどけてもつれながら、赤や青や黄色の花々といっしょに揺れていた。
うす暗い白熱灯の下で、それはまさに極彩色の地獄絵のようだった。
多佳や喜一がわたしに何をしたわけでも何を言ったわけでもなかった。ふたりにしてみればわたしなぞはいてもいなくてもいい路傍の石でしかなかった。
けれどわたしはただそこにいてふたりを見ているだけで、15歳の少女らしい思いを踏みにじられていた。多佳に両手をつかまれたまま多佳の地獄にいっしょに落ちてしまっていた。
できるものなら多佳よりももっと大きな声で「いあやだぁ」と叫びたかった。そう叫んで多佳の手をふりほどき、どこか遠くへ逃げて行きたかった。ここではないどこか、もっときれいでもっと静かでもっと平和なところへ。
けれどわたしにはどこにも行き場所はない。どんなにいやでもここにしか居場所はなかった。多佳の手を振りほどいたところで他にどうしようもないのだ。
「だいじょうぶよ、こんなことなんとも思ってないわ、だいじょうぶよ、ほんとうに平気よ」
わたしは疲れてもうろうとなりながらまるで呪文のようにそうつぶやきつづけた。熱がこもって身体がどんどん重たくなっていくような気がした。
ごめんねェと言いながら多佳は泣いている。平気よ、平気よ、とわたしは繰り返す。柱時計を見ると2時半をとうに過ぎていた。
多佳の着物が揺れながらどんどんふくれあがって真っ赤な炎になって燃え上がる。小花が火花を散らして舞い上がりながらわたしのまわりをぐるぐる回り始めた。視界がぼやけてそのままわたしも多佳の背中に倒れこんでしまいそうだった。
その向こうに、小さくしぼんだような母の顔がぼんやり浮かんでいた。
多佳にどんなことがあったのかはわからない。が、翌々日には多佳はすっかり元気になって、そんなことがあったことさえ忘れたように、また元の日常にもどり、封筒張りをし、タンスから着物を引き出して質屋に行き、ときどき喜一がやってきては「コツン」と窓に小石を投げる元の日常に戻ったのだった。
そんな暮らしの中にも、ときどきはいいこともあった。
多佳のそのことがあって間もなくのある夜、半分店じまいして下ろしたカーテンをくぐって入ってきた人があった。
「ごめんください」
その声に振り向くと、このあたりではついぞ見かけたことのないような立派な風貌の中年のおとこのひとが店先に立っていた。
「はい」と言いながら出て行きかけた母に向かってそのひとは
「初江さん、わたしです、わかりますか?」
と一足踏み出しながら言った。
「あっ・・・あなた、正文さん?」
一瞬間を置いて母が答えた。
「そうです、正文です」
そのひとは母に駆け寄って、抱きつかんばかりにして母の手を握りしめた。
「正文さん」という名を聞いてわたしはすぐに「あぁ、あのひとだ」と思った。母のアルバムに軍服姿の若者の写真が2枚貼ってあった。2枚とも同じ人物で一枚目には白枠に「二〇歳の誕生日に 正文」、もう一枚には「○○島にて、二十二歳」と書いてあった。
「このひと、誰?」と聞くと
「田舎の小学校で同級生だったひと」だと言う。
「なんでこのひとの写真があるの?」
「さあねぇ、送ってきてくれたから取っておいただけだけど」と答える。
わたしはしみじみその写真に見入った。どちらもとてもりりしい軍人姿で、応召兵だった父の写真と比べると数段好男子で立派だった。
「ねぇ、このひと、おかあさんのこと好きだったんじゃないの?」
「へぇ、そんなこと考えてみたこともなかったよ」
母はあくまでそっけなく無関心である。
「だって、好きでもない人にわざわざ戦地から写真送ったりしないでしょ。そうだよ、きっと、おかあさんのこと好きだったんだよ」
わたしは若いころの写真の母を思い浮かべながら言う。若いころの母だったらひそかに思いを寄せる人がいたってそれほど不思議ということもないだろう。
「それでこの人今どうしてるの?」
「なんでも、北海道に渡って成功してずいぶん大きな会社を経営してるらしいよ。製材業だったかねぇ。牧場もやってるようなことも聞いたことがあるけど、誰から聞いたんだったっけ・・・」
このひとは母ひとり子ひとりの家庭で、小学校を卒業するとすぐに母方の親類を頼って東京に行ってしまい、一族のほかのひとたちもみな村を出てしまっているので、詳しい消息は知らないのだそうだ。
「それで、そのあと会ったことなかったの」
「さあねぇ、会ったような気もするし、会ったことなかったような気もするし。1度くらい東京のどこかで同級生の何人かといっしょに会ったかなぁ」
母はますますどうでもいいことのように言う。
「おかあさん、この人と結婚すればよかったのに。そうすればおかあさんも今頃は北海道の社長夫人だったんだよ。わたしもこのひとがおとうさんだったらよかったなぁ・・・。うん、ほんとにこのひとのほうがずっといいよ」
「まぁ、この子ったら、罰あたりなことを言って。おとうさんだって生きていたら入谷の商店街に4階建のビルくらい建てていたろうよ」
こどものわたしは父と母がいなかったら自分という人間は存在しないのだということに少しも思い至らず、牧場のお嬢さんとして暮らす自分を夢のように思い浮かべていた。
こんな薄汚いところじゃなく、広々とした北海道の大自然の中で生きていられたらどんなによかったろうか。
わたしの想像はどんどんふくらんで、牛を追い、草原をころげ回り、しまいには馬に乗って山野を駆け巡っていた。
父の4階建てのビルも、北海道の牧場のおじょうさんもどちらもただの蜃気楼にすぎなかったが、その夢の中にいた「正文さん」が現実の人になって姿を現し、20歳のころよりひと回りほど太めの中年の紳士になって、わが家の四畳半の部屋にかしこまって座りながら「東京は暑い、暑い」と繰り返してポケットから取り出したハンカチでさかんに額の汗を拭っていた。
わたしは正文さんが母を好きだったのではなかったかと思っていたから、こんな貧しげな駄菓子屋のひからびたおばさんになっている母を見て、がっかりしているのではないかとそれがさかんに気になった。自分がそこにいっしょに座っていることもなんとなく恥ずかしかった。
が、母はそんなことを気にかけるようすはまったくなく、正文さんと向き合ってお茶をすすりながら当たり前のような顔で昔話に興じている。
母にはビンボーを恥じるという意識がまったくなかった。
「自分の力で働いて、誰の世話にもならずに生きているんだもの何の恥ずかしいことがあるもんか」
というのが母の持論である。
それは確かにその通りなのだが、小者のわたしはやはりビンボーは恥ずかしいことなのであった。
「あなたたちのおかあさんはね、とっても勉強ができたんですよ。いやぁ、どうがんばっても初江さんにはかなわなかったなぁ」
「そうそう、わたしはおんなだったから副級長にしかなれなかったけど、勉強ができた順からいえばわたしが級長だったんだよね」
母は自分が勉強のできるこどもだったことを実証できて、得意顔だった。こどものときの学校での優劣はおとなになってからも尾を引くものらしく正文さんは
「いや、ほんとに、ほんとに」
と言いながらしきりに頭をかいていた。
正文さんは今の母を見ても特にがっかりしたようすもなかったから、「母のことが好きだった」というわたしの予測は当たっていなかったのかもしれない。
新潟の故郷に係累のいない正文さんはひたすら故郷が懐かしい一心で、ぜひぜひ同級生のみんなに連絡を取って同窓会を開いてくれるようにと母に何度も念を押して帰って行った。
母はさっそく消息を知っているかぎりのひとに電話をかけたり手紙を書いたりして、それから何ヶ月かのち、母たちのはじめての同級会が実現し、それ以後毎年都内のあちこちで同級会が開かれるようになった。
何年か後にはみんなで新潟まで出かけて行った。そのたびに正文さんは大張りきりで特別スポンサーになって、母たちは少ない予算で毎回ずいぶん贅沢な同級会を開くことができたのである。
正文さんはその後もときどきわが家にやってきて、来ると必ずわたしたちを食事に連れ出してくれた。たいがいはいろは通りの食堂だったが、一度だけ都心に用事があるからいっしょに行こうと誘われて、みんなで日本橋まで行って、通りに面した大きなレストランで洋食を食べた。
どんなものを食べたかは忘れてしまったけれど、テーブルを囲むわたしたちが、他のひとの目には立派な父親をもった幸せな家族に見えているかもしれないと思うとそれがとてもうれしかった。
実際はどうであれ、そう見えているだろうと思うだけでわくわくするほどうれしかったのだ。
帰り際にはいつも、何もお土産を持ってこなかったからと言って、わたしたちにお小遣いをくれた。100円200円を内職であくせく稼いでいたころだったから、正文さんがくれる1000円か2000円はわたしたちにはほんとうに貴重でありがたく、わたしと咲にとっても正文さんは福の神そのものだった。
母の村はほとんどみんな同じ名字だったから正文さんもわたしたちと同じ北川姓だった。わたしたちは正文さんを「北川のおじさん」と呼んで、まるで頼もしい親類ができたような気になって、北川のおじさんとの付き合いはおじさんが亡くなるまでずっと続いたのだった。
残念ながら北川のおじさんは62歳で心臓発作で急逝してしまう。
亡くなる前の年、母と正子伯母夫婦と母のいもうとといとことの5人がおじさんに招待されて4泊5日の北海道旅行に行ってきた。
飛行機代も北海道での宿も何もかもおじさん任せで、そのころはまだ北海道までの航空運賃もとても高額な時代だったから、おじさんがいなかったら母たちには決して実現できなかった夢のような旅だった。
5人そろって単純素朴でノーテンキなひとたちだったから、はじめて乗る飛行機に、はじめて見る北の大地に、はじめて口にする山海の珍味に、いちいち大げさな歓声をあげ、おおはしゃぎの珍道中を繰り広げたことだろう。太めのからだを揺すりながら汗を拭き拭き、行きたい方角に勝手にどんどん行ってしまう5人の後を追いかけてゆくおじさんの姿が目に浮かぶようだ。
天に意志というものがあるとしたら、北川のおじさんの登場はつぎからつぎへと待ちかまえている苦難をただ黙々と乗り越えてゆく母への、天からのせいいっぱいの贈り物ではなかったろうか。
おじさんが亡くなった翌年、母も突然死んでしまったことを考えると、ことさら強くそう思うのである。