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玉の井パラダイス

2013年12月20日 更新

「玉の井パラダイス」、連載を終えて


1年半にわたる長期連載が前号で終了しました。

「玉の井パラダイス」は連載を重ねるに従いジワジワと反響が大きくなっていきました。


「玉の井パラダイス、終わってしまいましたね」と知人、友人から声をかけられました。

「とびとびに読んでいたので、連載終了を期に一話から通しで読み返してみる」そんな方もいました。熱心な読者の読後感を何かの機会にぜひ聞かせていただこうと思っています。


かく言う私自身が熱心な「玉の井パラダイス」読者で、多佳と喜一の大喧嘩にはらはらしたり、「お里さん」の顔を想像したり、すずの父親の若すぎる死と葬儀に頑として加わらなかったすずの心中を推し量り、思わず目頭が熱くなりました。


昭和20年代後半から30年代にかけての日本は貧しさの中にも不思議な活気をもった時期でした。著者と同年生まれで、同じ下町に育った一人として懐かしくもあり、共感する部分も多く、「戦後東京下町の庶民史」を読んでいるような気分でした。

著者が描いた人たちは下町のがさつさとユーモアが同居した愛すべき人たちでした。


この作品の最大の特色は精巧なジグゾーパズルのように登場人物が一人でも欠けると、パズルの一片が抜け落ちて作品ががたがたと崩れるような気がするほど人物描写と構成が巧みな点ではないでしょうか。

連載が終了した直後、著者・北川すずさんに時間をとってもらい、あらためて作品を書いた動機、経緯などを聞いてみました。


(神山)この作品の原型となるものがあると聞きましたが、それはいつごろ書かれたんですか?

(北川)「玉の井パラダイス」の原本は私が30歳の頃原稿用紙120枚ほどにまとめ、友人がやっていた同人誌に掲載したものです。枚数からいって荒筋に近いようなもので、いつかは肉付けして本格的な読み物にしようと思っていました。でもなかなか書けなくてしばらくそのままになっていました。

(神山)原本を書いた時点で登場人物はほぼ網羅されていたのですか?

(北川)原本の登場人物は喜一と多佳がメインでまだ喜一も生きていたし、大半の人たちは存命でした。原本を書いてから30年近くたって、喜一や母、叔母などメインの人たちが亡くなっていたので踏み込んだものを書いても支障はないかなと思いました。それで今回肉付けして書き直したとき原本を読み返してみて、思い出した人もいたので書き加えました。「お里」さんとか母の故郷の幼馴染で北海道で事業を起こした羽振りのいいおじさんとか。

(神山)この作品にはかなりな数の人が描かれて、しかもいきいきと描かれていますね。誰かに取材しながら書いたのですか?

(北川)いえ、取材は特にしていません。思い出しながら書きました。私、記憶がとてもいいんですよ。(笑)

(神山)以前聞いたことがあったと思うのですが、お母さんに原稿を見せたのはこの原本ですか?

(北川)いえ、原稿ではなく活字になった同人誌を見せたのです。亡くなって30年、すっかり遠い存在になっていた母でしたが、今回書きながら母といっしょにあの時代を生き直しているような気がして、それもまたとても楽しかった。喜一と多佳が別れてしまい、玉の井から姿を消した喜一が10年ぶりに姿を見せ、そのときはすでに再婚していたことがわかりました。そしてその3年後には40歳になるかならない喜一が血を吐いてあっけなく死んでしまいました。喜一と多佳が一人娘を挟むように仲むつまじい家庭を築いていたらおそらく原本のままで終わったかもしれません。ほんとは相思相愛の二人が悲劇的な終わり方をして、なんてこの世は理不尽なのだろうと思い、喜一の生き様、死に様を書き残しておこうと考えたのも書き直しの動機でした。

(神山)この物語に書かれた時代は戦後間もなくから昭和30年代が中心になっていますが、肉親や親類が戦死したり、焼け残ったビルが取り壊されないままあちこちに残っていて、戦後の爪痕がしっかり刻み込まれていました。北川さんのお父さんも終戦で無事帰られましたが、戦争が原因で病死されたと思いますが・・・。

(北川)その通りだと思います。母も父は戦争で殺された、と言っていました。少し救われたのは一応無事で帰還して商売を始め、それが軌道に乗って、つかの間でも将来の夢を見ることができた点です。

(神山)しかし30代の半ば若い妻と幼い二人の子供を残して逝ったのは無念だったでしょうね。お母さんも苦労の連続で、お伊勢参りの旅行もするようになり、ほっと一息したら63歳の若さで急死したわけですね。

(北川)母は駄菓子屋をやめて外に働きにでてちょうど60歳でその仕事をやめました。その時、妹と話し合って母に20万円の入った通帳をプレゼントしました。好きなことに使ってもらうつもりだったのですが、死後その通帳を見ると20万円そっくり残っていました。
何回か数万円単位で引き出した形跡がありましたが、そのあと必ず引き出した分を戻していたようでした。子供には余計な心遣いをさせて気が引けたのだと思います。そんな母でした。

(神山)お母さんは今生きていれば90歳半ばですが、赤の他人の多佳を家に住まわせたり、多佳の娘を預かったり、ずいぶん面倒見のいい人だったんですね。ところで多佳のその後はどうなったのでしょう。

(北川)亡くなったという話は聞いていませんが、あまりいい人生を送ったとは聞いていません。気性の激しさとハチャメチャな生き方が喜一の命を縮め、周りの人たちを不幸にしてしまったのは否めません。多佳の娘も悪い男と付き合って、家に寄り付かないと風の便りで聞いています。
原本は母に見せることができましたが、今回の肉付けした物語は見せることができませんでした。でも自分としてはいい供養ができたかなと思っています。

(神山)今後の話ですが、「玉ノ井パラダイス」の続編を書く予定はありますか?

(北川)いえ、私としては「玉ノ井パラダイス」で母や喜一、多佳、そして町の人たちのすべてを書き尽くしたと思っているので続編は書くつもりはありません。

(神山)北川さんの旅行好きは有名ですが、毎月のようにあちこち行っている国内旅行や長期の海外旅行記のようなジャンルに挑戦しますか?
何を書かれるかは別にして今後の執筆に読者の一人として大いに期待をしています。今日はありがとうございました。




>> 北川すず <<
1948年東京生まれ・早稲田大学教育学部国語国文科卒