3月も半ばのこの季節、規則正しく三寒四温を繰り返している。
「トコトコ農園」の作業日にあわせてくれたのか、水曜から金曜までが気温が低く、土曜から火曜までが暖かい。土曜と火曜の作業日にあわせるような天候のめぐり合わせが続く。
そのため、この2週間、作業の進行は順調だ。
まず3月5日(土)は前日の雨が明け方にやみ、ジャガイモ15kgを植え付けた。来週の火曜までは天気も晴れで比較的温度も高い。3月8日(火)は春播きダイコンの種を3畝分播き、3月20日頃に種播きを予定しているトウモロコシ7畝分の畝の準備を行う。さらに小麦の追肥まで行った。
新入会員が増えた分、人手も多くなったこともあるが作業スピードは確実に上がっている。
また3月8日(火)はさらにイレギラーな作業を同時進行で行った。
昨年まで、キュウリ、カボチャ、スイカなどは狭い我が家でポットを使って苗を作っていたが、今年は用意する苗の量が会員増にあわせ、2倍ちかく作らなければならない。手狭な我が家ではほぼ限界に近い。
やはり本格的な育苗用の温室がほしいところだ。そこで物置小屋横に9平米程度の育苗小屋を作ることにした。中古の単管同士をジョイントして骨組みを組み立て、屋根と壁材は垂木と横板の上から波板を張る。
会員有志の協力を募り、3月8日(火)から建設作業に取り掛かり、3月11日(金)の1時半には雨どいとドアを取り付け、延べ4日で完成することが出来た。
小屋の完成を見届け2時に帰宅してコタツに入りくつろいでいたところ、ゆったりとした横ゆれの地震がやってきた。普段より少し大きめの地震かと思った瞬間、激しいゆれにおそわれ、すぐにおさまる気配がない。驚いて玄関に出てみると、向かいの家の母娘が抱き合うようにして庭にしゃがみこんでいる。上に視線を転じると電柱は小刻みに左右に揺れている。揺れが続いた時間は正確には思い出せないが、かなり長時間ゆれているように感じた。
室内に戻りTVを点けると相当大規模な地震のようだ。津波の第一波が3時から岩手県の太平洋側に到達するらしい。この時点ではまさか千年ぶりの未曾有な津波が来るとは想像すらできなかった。しばらくして2階の自室に上がると、本棚から数冊の本が落ちている程度でほっとした。TVを点けて地震情報をみていると、再び大きなゆれがやってきた。
この時点でとんでもない大きな地震かもしれないと思い始める。
画面にはどこかの漁港内で小波程度の海面上昇が映し出されていた。ところが岩手県大船渡港の画面に切り替わった途端、中規模の漁船が猛スピードで岸壁に突進している。あまりの短時間の変化に我が目を疑う。それから先は目を覆いたくなるような津波の映像がこれでもかと、東北地方各地から届けられる。
夜になっても頻繁な余震が続いたが、翌12日(土)の作業手順を会員にメール連絡をして、地震による被害状況と参加可能かどうかを返信してもらった。都内の会社勤務の4名ほどがその日は帰宅できず、不参加の旨、返信してきた。
土曜のメイン作業は新しい2反(600坪)の畑の3分の一に石灰と鶏糞堆肥を全面散布することである。1時間ほどの作業を終えて、地震にまつわる用事で早めに帰宅する人もいて、最終的に参加者数は普段の半分になった。
15日(火)の作業には都内からの参加者が計画停電による交通機関の大幅な運行遅れが予想され、作業不参加の連絡があった。この日は12日(土)と同じ、新しい2反(600坪)の畑の3分の一に石灰と鶏糞堆肥の全面散布がメイン作業である。
ただし12日(土)よりも参加人数が多く、作業は思いのほかはかどった。
12日(土)、15日(火)と連続でカボチャ、スイカ、トマトの種をポットに播き、完成直後の育苗温室に収納した。育苗室内は明らかに外気とは温度が違う。このまま外気温が10度以上の状態が続けば、苗はすくすくと育っていくだろう。
2011年度は多数の新入会員の加入、耕作面積の増加、育苗温室の完成と稼動、そして千年に一度の巨大地震によるさまざまな影響と、良くも悪くも印象深い年度始めのスタートをきったことになった。
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