■ばぁちゃん、じぃちゃんは、戦後の引揚者で生き抜く糧として埼玉県浦和市(当時)で農業を始めた。収穫した野菜、卵、鶏肉などをリヤカーに載せて、ばぁちゃんが近辺を行商していた。当時小学校低学年だった私は、ばぁちゃんのリヤカーを押しながら、行商についていった。柔らかな風にのって漂ってくるトマトの青っぽい匂いが今でも記憶に残っている。
餅つき(もち米も自作)、漬物用に干した大量のダイコン、イナゴの佃煮、自家製味噌(麦も自作)製造途中の糀の匂い、堆肥の匂い、卵を産まなくなった鶏が喉から血を流し逆さに吊るされている光景等今では決して見ることができない日常の事が、トコトコ農園では、一部分垣間見る事ができ胸がキュンとなる。
一昨年、ある方からトコトコ農園のお話がありました。さほど時間をおかず入会させて頂きました。自己紹介が遅れましたが、私は、土曜日の末永です。
30数年勤めた某製造会社を退職後、IT会社を経験して、ITや生産技術関連の開発・コンサルテーションを生業とする会社(LLP)を立ち上げました。
▲あるとき、成田空港からのバスの中で、埼玉で農業をされているご夫婦と一緒になり、お話をさせてもらいました。そのご夫婦は、『あと数年で農業を辞めなくてはいけない。更に、町のなかにある他の小規模農家もその内、なくなり景色は一変してしまうだろう。』とお話されていました。最近では、トコトコ農園の周辺でもそのような現象は始まっています。(写真1,2)
そのご夫婦からは、理由は聞きませんでしたが、ある程度推測がつきました。以前より、食料危機、食の安全問題など農業に対して関心を持っていましたが、更に、突っ込んで農業を知ってみたくなったのは、その時の会話からでした。機会があれば農業を体験したいと思いました。
●私は、小手指に住んでいます。
小手指が素敵な住み良い街になるかどうかは、そこに住む人々に委ねられているといっていいでしょう。私は、うどんが好きだが、毎日食べようとは思わない。せいぜい1ヵ月に1,2回であろう。美味しく手軽な地味なうどん屋さんに行っていましたが、ある日、うどん屋さんがなくなり、跡地は駐車場になっていました。
街の景観が変り、居心地の良いうどん屋さんがなくなってしまった。街に住む人達即ち、消費者が地味なうどん屋の経営の命運を握っていたのです。農業も同じ原理ではないかと思いました。消費者は、守るべきところを知る必要があるし、守られるべきところは、自ら消費者に近づく必要があると思いました。
★僕の夢
「消費者が農を育てる(都市近郊小規模農業の生き残り戦略)」をテーマに農業の4次(1次+3次)産業化について考えています。敢えて、2次産業を外したのは、設備投資に費用が掛るということと、加工が主役になり農業の良さを追求できなくなると考えたからです。
そこで提案したいのは、「消費者が作付けに参加できる仕組み」をつくるということです。
キャベツ、レタス、ダイコンなど豊作時に出荷されないままうずたかく農地に積まれている光景を稀にニュースで見ることがあります。一方、天候不順などで野菜価格が暴騰するときも稀にあります。
我が家は、何時ごろ何をどれだけ必要とするかインターネットでこれから先の需要を登録。その情報を作付けに反映。消費者には契約した値段で指定した納品日に新鮮な作物が届く。
作り手からみると必要なものを必要なだけ作り出荷する。無駄がなくなります。また、年間の収益を予想できる。つまり、作付けの時点で収益改善の手を打てるということも今の農業では必要なことではないでしょうか。
天候不順により必要な分だけ出荷できない場合もあります。その為に、小規模農家同士が地域を越えて連携する事も必要でしょう。また、連携がより大規模なニーズ゙に応えることを可能にするかもしれません。新しい農産物の開発などへの投資も連携により可能となるでしょう。更に、日本の農業の安全性を武器に海外からの登録も可能にすれば・・とアイデアは広がっていきます。小規模農家も成長分野のひとつになると思っています。
こんな夢が語り合えればいいなーと思っています。
孫にはいつでも安全な野菜、孫の親にはいつでも適切な価格で野菜を購入できるようになればいいなー!と思っています。
ばぁちゃんの行商をじいちゃんになった孫(私)が、リヤカーのかわりにパソコンとネットワークと物流を使って農業を後押しできたらいいなーと考えています。
拙い内容をお詫びし、この辺で筆をおきます。
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