二回目の投稿です。
前回(2015年9月20日)は自己紹介でしたが、今回は、「植物」をテーマにファンタジー仕立てで書いてみます。
Eric Claptonの哀愁漂う流麗なギターサウンドで始まる名曲「いとしのレイラ」(Layla)をもじって「いとしのパキラ」という題にしてみました。
ふざけた文章、と怒られるかもしれませんが、ご容赦ください。
私にとってパキラは大切な存在です。パキラを私の自宅に連れ帰ったのは1年ほど前。
それまでは会社のオフィスでの付き合いでしたが、その時から私との同居が始まりました。
パキラに初めて出会ったのは10年あまり前、私がそれまで在籍していた農機メーカーを退職して独立した時。大樹を離れ不安で一杯だった頃から、ずっと私の傍らで仕事ぶりを見守ってくれていました。
ちなみにパキラは独立祝いに取引先から頂いた観葉植物です。
最初の数年はすくすくと育ち、青々とした葉を広げていたのですが、徐々に元気がなくなっていき、当初5本ほどあった株が次々に枯れていきました。
肥料をやっても改善されず、残り一株になったときに、これはまずい、と自宅に連れ帰りました。
まずは、日当たりが悪かったせいか、と家のベランダに出すと、葉が日に焼けてしなびてしまいました。
試行錯誤の末、土を変えると元気を取り戻しました。古い土で根腐れしていたようです。
生き残った最後の一株、今自宅のリビングの一角で静かに佇んでいます。
先日、「植物は<知性>をもっている」(ステファノ・マンクーゾ他著、NHK出版 2015年)という本を見つけました。もしかするとパキラは、大事に世話をしている私に対して愛情を感じてくれているのではないか、なんてことを考え、読んでみることにしました。
残念ながら感情に関する言及はありませんでしたが、植物には動物とは異なる次元での知性が存在する、という話の展開でした。
この本には「植物はネットワーク」という記述があり、私は今コンピュータに関係した仕事をしているので、次のような相似関係に思い至りました。
動物は脳やいろんな臓器がそれぞれの役割を担う分業体制をとっているので、CPU、ハードディスクやグラフィックボードを組み合わせて作られている一台のパソコンのようなもの。
それに対して、植物は各細胞それぞれが機能を完結させており、細胞間で情報を伝達してシステムを運用していくネットワークシステムということができそうです。
植物を構成する細胞の数を考えると、超大規模なコンピュータ・クラスターとみなせるような気がします。ネットワークシステムなので、例えば野菜の「芽かき」をして一部を切り離しても全体の機能は問題を起こしません。
コンピュータの世界では大規模計算のプラットフォームがスタンドアロン(単独使用)から分散コンピューティングに発展してきているという事実を鑑みれば、もしかすると動物よりも植物のほうが進化した高度な生命体なのではないかとすら思えてきます。
また、植物の葉は光のあるほうに伸びていきます。ということは、葉の細胞から茎の細胞に向かって何らかの方法で光が来る方向に関する情報が伝達されているはずです。その仕組みがわかれば、植物コンピュータなんてできないかな、と空想してみました。
例えば「明るい」が「1」、「暗い」が「0」の二進法による演算とか。これができれば、ノーベル賞は無理でもイグ・ノーベル賞くらいは取れるのではないかと。余談ですが、食品メーカーの研究員だった私の友人は2013年に玉ねぎと涙の研究でイグ・ノーベル化学賞を取りました。私も負けてはいられません。
先人がいないか、と試しに「植物コンピュータ」でGoogle検索すると、「植物は警告する:バイオ・コンピュータの驚異」(三上晃著、たま出版 1992年)という本が見つかりました。
おっ、私の同志が見つかった、と思って書評を読むと・・・第2回日本トンデモ本大賞受賞作でした。読もうかと思いましたが、書評を見て読むのをやめました。以下、書評の抜粋です。(http://www.geocities.jp/kusfa_ver4/wbast/5116.html)
涙無くしては、読めない書物である。この書物を読めば、適切な注意、忠告を受けることができなかった者の末路が明らかになる。
また、そのような者に対して、無視、もしくは無関心であることが罪であることも。
この本を著した時点では、既に著者は他人の忠告を受け入れることができなくなっている。こうなっては、もはや手遅れである。こうなる前に、何らかの手が打てなかったのだろうか。出版社側は、おそらく面白いから放っておいたのだろうが。
この書評、私の文章を読んだ皆さんの反応のように思えてきました。
イグ・ノーベル賞はあきらめたほうがよさそうです。しかし、懲りずに妄想を続けます。
私は南大阪の堺市で生まれ育ちました。
今も老親二人が庭のある住居に住んでいるのですが、母は園芸が趣味で様々な花を庭に咲かせています。
先日帰省した折、草が花壇を超えて住居のほうに蔓延ってきたので、抜いてほしいと頼まれ、除草作業をしました。
すると、地表ではやさしげな花を咲かせている草なのですが、地下では硬くてグロテスクな形をした根が住居に向かって伸びていたのです。あたかもエイリアンの侵略のように。
何故こんな草が生えたのか、と母に聞くと、買ってきた鉢植えの花が窮屈そうでかわいそうだったので庭に移植したとのこと。ブラックバスを湖に放流してしまったような状況です。
これからは帰省するたびに、地球防衛軍がごとく、住居に向かうエイリアン草の侵攻を花壇の防衛ラインで食い止める作業が待っています。
まさに動物と植物の縄張り争い。前出の本の中では、植物の知性の一例としてハエトリ草を取り上げているのですが、ハエトリ草という存在は植物の動物に対する逆襲のようにも思えます。捕食者とエサの立場の逆転です。
もしハエトリ草が巨大化し防衛ラインを突破して住居に侵入してくれば、まるで幼い頃のテレビ番組「ウルトラQ」に出てきた植物怪獣マンモスフラワーだな、と思いました。
あの実家の草はなぜ住居へ向かう侵攻をやめないのでしょうか。地中の養分を求めてだとは思いますが、長年住居に覆われて干からびた土地の地下に草を引き寄せる養分があるとも思えません。
するとやはりマンモスフラワーのように人間の生き血を求めて?などと空想は膨らみます。
「2001年宇宙の旅」のHAL以来、SF映画の世界では高度化したコンピュータと人間は闘いを繰り広げてきました。
現実の世界でも、チェス、囲碁、将棋のように一定のルールに沿った知能の勝負においては AI(人工知能)と人間の強さは拮抗するに至っています。
最近のディープ・ラーニング(機械学習)によるAIの驚くべき発展の話を聞くと、いつかはHALのようなコンピュータが登場するのかもしれない、とすら感じます。
また、植物が高度なネットワークコンピューティングシステムだとすると、もしかすると植物の中で既にディープ・ラーニングが行われており、我々の気づかない次元での進化が進んでいるかもしれません。いつか植物怪獣として人間に牙を剥いてくるのでしょうか。あるいは、私の家のパキラの内部でも秘かに進化が進んでおり、すでに感情を持っているのではないだろうか。
そんなことを妄想していると、パキラがいとしく感じられます。
Pachira, got me on my knees♪
Pachira, begging darling please Pachira darling♪
Won’t you ease my worried mind♪
トコトコ農園の野菜たちも、けなげに成長し、文句も言わず私たちの胃袋に収まってくれているようにみえますが、もしかして耳を澄ますと野菜たちの愚痴や呟きが聞こえてくるかもしれません。でも、もし本当に聴こえてしまったら、それは白昼夢。夏だと熱中症でかなり危ない状態。すぐに日陰に入って水を飲みましょう。
最後に:
最近、某大学が以下のような研究成果を発表しました。
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・ヒトと植物細胞の部分的な細胞融合に成功し、植物の染色体がヒト細胞環境下で維持されることを解明。
・融合細胞は、進化を通して保存されている生命の基本原理の解明に貢献するだけでなく、異種染色体が細胞中でどのように安定に維持されるのかを解明することで、雑種形成による有用生物の育種への貢献に期待。
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ヒトと植物の雑種?「有用生物」って知性を持った植物?
映画「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」に登場する「ボウトラックル」みたいなもの?マッド・サイエンティスト的な研究に思えてしまいます。
この大学、私の母校。オウム真理教の科学技術庁長官、故村井秀夫は私の同期・・・危ない大学かも。オウム最高幹部、早川紀代秀は私の高校の先輩。もしかすると、私自身が危ない人間なのかも。
土曜Gの皆さん、お気を付けください。
以上、ふざけた文章で申し訳ありませんでした。
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