• 「概要」へ
  • 「イベント」へ
  • 「申込フォーム」へ
  • 「連載」へ
  • 「情報コーナー」へ
  • 「メルマガ登録」へ
  • 「アーカイブス」へ
  • 「リンク」へ

嬬恋私記

2009年2月23日 更新

第1回 事の始まり


 群馬県の嬬恋村に週末農業の会「嬬恋ファームイン」を仲間たちと設立して16年目を迎えます。そしてその拠点として隣町の長野原町北軽井沢に山荘を建て、東京の立川の自宅とのマルチハビテーションの生活も13年となりました。

記事関連の写真

キャベツ畑から望む浅間山

 東京の広告代理店に勤めていて、都市生活の真っ只中に浸りきっていた仕事人間がなぜ早期退職までして田舎暮らしを軸とした生活をするようになったかを振り返って紹介させていただきます。

記事関連の写真

ファームイン初期の頃利用した宿泊施設のログハウス(現在はファームインの宿泊拠点に移築)

 現在私は64歳ですので16年前は48歳で、現場の仕事だけではなく部の管理も任されて帰宅が深夜に及ぶこともしばしばの生活を送っていました。仕事の内容は、セールスプローモーションという分野で、広告会社のサービスの中でもクライアントの販売促進に関するさまざまな分野の要望に応えるセクションです。

 顧客がメーカーであれば新製品の発表会、展示会、プレミアム・ノベルティの開発、販売拠点でのディスプレイ・ツールの開発、セールスイベントやPRイベントの企画実施などなど。スタッフ部門の中ではTVコマーシャルや新聞・雑誌・ポスターなどを制作するクリエイティブ部門のプロデューサーやデザイナー、コピーライターのような専門職に比較して守備範囲の広いサービス部門です。仕事場も銀座のど真ん中にあり、夜な夜なネオン街をさまようこともしばしばの生活を過ごしておりました。

記事関連の写真

田舎暮らしのきっかけを作ってくれた小泉さん

 そんな時期にディスプレイ会社を経営している大学の先輩から、ウインドウ・ディスプレイや店舗開発を専門職にしている人たちが所属している、日本ビジュアルマーチャンダイジング協会の会員に加わるように誘われてメンバーに加わり、定例会に参加するようになりました。その定例会で知り合いになったある繊維メーカーの宣伝部に所属されている小泉純司さんとの出会いが、その後の私の人生観を大きく変えていったことをそのときは知る由もありませんでした。

記事関連の写真

60年代に一世を風靡したTVコマーシャル

 私が広告業界に入りたての頃は、まだメーカーの宣伝部が全盛の時代で、サントリー、資生堂を代表とする企業の宣伝部内でコマーシャルが制作されていて、小泉さんの会社もその代表格の一つでした。ポップアートのアニメーションとパンチの効いたコマーシャルソングで広告賞を総なめしたブランドコマーシャルや海外の有名な俳優を起用したコマーシャルなどで話題を呼んだメーカーの宣伝部です。その後企業内でのコマーシャル制作が広告代理店や制作プロダクションにアウトソーシングされるようになり、バブルの崩壊後は糸偏企業もそのあおりを大きく受けて宣伝部の縮小も余儀なくされている時期でした。

記事関連の写真

アトリエで仕事をする小泉さん

 知り合ってまもなくの頃に小泉さんが突然会社をやめてアーチストとして生きるのだと言い出して、別荘として持っておられた群馬県の嬬恋村の山荘をアトリエにして引き篭もってしまわれたのです。彼は仕事でアメリカのアーミッシュの取材に訪れたときに、その文明を排除した彼らの生活にすっかり魅了されてしまったらしく、キャンドルアーチストとして生きていきたいと言い出したのです。


記事関連の写真

キャンドルに囲まれた小泉さんの山荘

 バブル崩壊後、日本の経済成長も後退し始めた時期にろうそくを素材にしてどうやって生活をしていくのだろうと心配した協会の仲間達で、激励会を兼ねて仕事振りの様子を探ろうと彼が引き篭もった嬬恋村の山荘を訪れたのです。驚いたことに、彼が一生懸命に作っていたのは、河原で拾ってきた小石にドリルで穴を開けてキャンドルスタンドとして販売するのだというのです。“こんなので生活できっこないよ”という仲間の忠告に意も介せず、ひたすら石に穴を掘り続けていました。

 彼の山荘を訪れてもっと驚いたのが周りの環境です。嬬恋村は337.51kuという東京都23区(621.81ku)の半分以上という広大な面積の中に人口は1万人足らず。その面積の8割が山林原野と畑で宅地面積は1%足らずの村です。日中の大半を人であふれ、季節感の稀有な大都会の只中で過ごしている訪問者達にとって嬬恋村は手付かずの自然に満ち溢れ、彼の別荘地も緑あふれる木々に囲まれた中にあり、そんなところに住まわれる小泉さんの生活が羨望の的となったのです。以来、何かと口実を作っては小泉さんのアトリエを訪問し、彼の仕事を激励するより四季折々の自然の中で遊ぶ喜びを見出すようになりました。

記事関連の写真

アーチストとして活躍される小泉さんの作品

 2.3ヶ月に1度の割りで訪れる嬬恋村は、その度に表情が違い自然の中でのさまざまな遊びを提供してくれました。早春にはこごみやふきのとうなどの野草狩りやタラの芽摘み、春と秋には茸狩り、紅葉シーズンの散策、冬の夜空に輝く星座の観察など、これまで味わったことのない自然の懐に抱かれて過ごす時間は、都会でたまったストレスをそのつど浄化してくれました。

 余談にはなりますが、小泉さんはこの自然に囲まれた嬬恋村のアトリエで、キャンドルスタンドの製作から脱皮して、キャンドルを使って屋外でのさまざまな炎のイベントを生み出して、彼のホームページhttp://www.candle-art.jp/index.htmlでお分かりのように、今ではキャンドルアートの第一人者としてご活躍されています。

 さて、前置きが長くなりましたが、次回からこの嬬恋村で週末農業の会「嬬恋ファームイン」が出来たいきさつ、素人百姓集団の畑作業や田舎暮らしの様子などをご紹介していきたいと思います。

>> 近藤晋弌 <<
1944年(昭和19年)生まれ 出身地 山口県下関市
大学:金沢美術工芸大学商業美術科
職歴:広告代理店(グラフィックデザイナーを経てセールスプロモーション・プロデューサー)を58歳で早期退職