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嬬恋私記

2009年2月23日 更新

第2回 シゲさんとの出会い


都会の喧騒から逃れて、何度も小泉さんの住む嬬恋村を訪れてはキャッキャと子供のようにはしゃいでいる私たちを遠くからじっと見つめている人がいたのです。ある時その方から「あんた達はこんな草っきりしかねえ田舎にしょっちゅう来て、何がそんなに楽しいんだね」と声を掛けられました。私たちがよく利用していたロワジールというビストロを経営されている松山さんという方がオーナーのお店で。


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畑仲間とくつろぐシゲさん

松山さんは、冬場は千葉の松戸に棲んでおられて春から秋口までは北軽井沢で小さなペンションとビストロを経営されている、田舎暮らしの先駆けの様なお方です。やはり北軽井沢の交差点のそばでホテルカリフォルニアを経営されている神保さんという方と昔ウエスタンバンドを組んでおられたとのことで、音楽好きの小泉さんが地元の友人としてお付き合いをされていた方たちです。(残念ながら松山さんは心筋梗塞で亡くなられ、ホテルカリフォルニアも今は閉鎖されてしまいましたが…)


私たちに声を掛けてこられたのは、松山さんや神保さんと友達の地元で建材店を営まれているという黒岩繁一さんという方でした。私たちは黒岩さんに「東京に住んでいると季節の変化に鈍感になってしまって。ここは来る度に季節の変化が楽しめてリフレッシュには最高です」とお答えしたところ、「そんなんだったら土地はいっペー余ってんだから野菜でも作ってみるかい」とのご提案。


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宿泊設備のログハウス室内

「野菜作りなんてやったことがないし、ましてや月に1、2度しか来られないので雑草まみれになってしまうのでは?」と躊躇していると、「なーにジャガイモでも豆でも蒔いていりゃそれなりに出来るもんさ」とご自身が使っている畑に案内してくださり、「ここでよければ自由に使っていいぞ」とまで言ってくださる。「でも小泉さんのアトリエに毎回泊めていただくわけにも行かないし…」「おう、それならオラの丸太小屋があるからそこにでも泊まれや」と、とんとん拍子に話がまとまり週末農業の会を始めることとなりました。


黒岩さんは、昭和30年代の高度成長期の頃に建築ブームの到来を予測して建材店を立ち上げ、持ち前の行動力で店売りだけにとどまらず、公共事業や元受事業の入札などにも積極的に参加して、逆に地元の土建業や大工・工務店に仕事を回すほどの経営者です。そんな彼が私たち外者を受け入れてくださったのは、「村の若いもんは学校を卒業するとみーんな外に出て行きたがるし、大学に行った連中は都会で就職して帰って来やしねぇ。村に残ってるのは年寄りばっか。このままじゃ、この村はだめになってしまうぞ。あんたたちのような都会の人たちがどんどん来てくれりゃ村も元気になれるさ」と生まれ育った地元への愛着心から。嬬恋村には黒岩姓が多く、地元ではお互いを名前で呼び合っている。で、黒岩繁一さんは“シゲさん”と私たちも呼ばせていただいている。



「嬬恋ファームイン」の誕生


シゲさんからご提供いただいた宿泊設備は、浅間牧場の近くに建っている丸太のログハウスで、7・8名が泊まれる、創設当時のメンバーには手ごろの広さ。早速畑の会を“宿泊設備のある嬬恋村の畑”というところから「嬬恋ファームイン」と名づけて、小泉さんを代表者の村長に祭り上げて遊び仲間7人でスタートしました。


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畑の準備をするメンバー達

野菜作りの手ほどきは、シゲさんの幼馴染で幼稚園から高校まで同級生の黒岩文次郎さん。通称文ちゃんで嬬恋村特産の高原キャベツを手広く栽培されている生産農家の方です。シゲさんから貸与いただいた中古のトラクターの扱い方から、雑草防止のマルチというビニールシートの張り方、どの時期にどの野菜の種や苗を植えればよいか、支柱やネットの張り方、追肥を施す時期など一通りの野菜作りの基本を懇切丁寧に教えていただきました。


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収穫間近の野菜たち

にわか百姓集団にも雑草の猛威に脅かされながらも、それなりの収穫を得ることが出来ました。収穫物を前にして自然の力の素晴らしさに感動し、そして何よりも驚いたのが採れたての野菜のおいしさです。畑で収穫したてのトウモロコシやトマトは生で齧ると両顎の奥のほうでキュンと沁みる刺激感のある旨みが感じられ、遠い昔子供の頃に味わった野菜の感覚がよみがえってきます。


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ファームインの畑で収穫したおいしい野菜たち

私たちの世代の幼少期は、物流が未発達の時期で消費も地産地消が中心でしたので、生鮮食品などは近郊の畑で採れた野菜や近海で獲れた魚介類が八百屋や魚屋で量り売りされていた時代でした。今に比べて不便だった半面、こと食生活に関しては当時のほうが上質の食材が得られていたのではないかと思います。そして、嬬恋村で収穫された野菜たちは、その頃の記憶を髣髴とさせる味覚を呼び起こしてくれたのです。


嬬恋村は標高1000mの高原地域で野菜作りが可能な時期は5月から10月までのほぼ半年という短い期間です。気候的にはほぼ札幌の気候に近いとのことで、冬は氷点下14〜5度まで下がりますので地元の農家の方たちも1年間の稼ぎを6・7ヶ月で得なければならないという大変厳しい地域です。


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ファームインの畑で収穫したおいしい野菜たち

「嬬恋ファームイン」の活動も4月初旬に、畑に堆肥を撒いたあと大型のトラクターで天地返しをして、連休の初めにマルチングをして区分けをします。そして連休の期間に種をまいて、6月にキウリやトマトなどの苗を植えます。畝には早くも雑草たちが芽吹いていますので、この時期に除草しておかないと次回に来たときにはもう畑は雑草に占領されてしまいます。

農薬を使わないので、全て手で抜いていくしかありません。1年間で一番忙しい時期です。

そして10月頃まで各自で作った野菜の収穫をして、11月には畑の整理をして翌年に備えます。


ファームインの規律も自然発生的に出来上がっていきました。シゲさんにお借りする農地の地代、堆肥やマルチなど共同で使用する資材費、年間の通信費などの総費用を算出して参加人数で頭割りして年会費を決定し、毎月第2土曜日を例会日と定めて食事当番が夕食や飲み物の用意をする。初めの頃はこの費用も頭割りしていましたが、面倒なので会計担当が予算管理することにして、区画の広さに準じて年会費を設定し食事代・宿泊代はそれぞれ定額にしました。そしてその日の夜は、参加者全員でパーティを開く。このシステムは16年を経た今でも続いています。


7人でスタートした週末農業の会は、時がたつに従って参加者が増えていきました。最大の要因は、参加メンバーの口コミで例会の度にどんなことをしているのだろうと様子を見に来るゲストの人たちが、その面白さと周辺の環境に魅されて翌年からメンバーに加わるようになってきたからです。私たちは年会費を払って参加しているメンバーを地主と称し、会員の同伴でゲスト参加する人たちを小作人と称して歓迎し、例会の参加費を会員と同じ条件で迎い入れました。収穫物も同様に分けてあげていましたので、毎回の例会月にはゲスト参加者が後を立ちませんでした。


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メンバーもゲストも一緒に楽しむファームインのパーティ

夜のパーティは芸達者が揃っていて、ディスプレイの専門家達がテーブルアレンジメントをし、デザイナーがパーティのテーマやメニューなどをポスター風に描いて飾り付けをし、ギターやアコーデオンによる演奏会が即興的に始まるという楽しいパーティです。


ゲストやメンバーの増加に伴い宿泊設備のログハウスが手狭になってきて、初めの頃はあぶれた宿泊者は近くのペンションに分宿していました。そのうちに例会のパーティもログハウスではまかないきれなくなり、シゲさんにどこかもう少し広い場所はないだろうかと相談したところ、「それなら少し離れた場所に農家を移築した小屋が有るからそこも使うべェ」と、なんと新たな宿泊施設を提供してくださったのです。


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宿泊設備に加わった百年小屋

場所は鬼押しハイウェイを下った鎌原料金所のすぐそばにあり、早速見にいくとなんと百年近く前の農家を移築した、部屋の中には50cmもの太さの大黒柱のある古民家でした。1階はキッチンのある土間と10畳の上がり座敷に6畳の和室と4.5畳の茶室、バス・トイレがあり、2階には大小あわせて5つの和室がある、裕に20人は宿泊できる設備です。メンバーも20人近くまで増加し、ゲストも毎回参加するため多いときには30名近い参加者になってきたので、私たちはこの古民家を百年小屋と称してログハウスと合わせて分宿できる施設を手にすることが出来たのです。


さて、ファームインのメンバーも増えてその活動も活発になってきました。次回はもう少し詳しく活動の紹介をいたします。


>> 近藤晋弌 <<
1944年(昭和19年)生まれ 出身地 山口県下関市
大学:金沢美術工芸大学商業美術科
職歴:広告代理店(グラフィックデザイナーを経てセールスプロモーション・プロデューサー)を58歳で早期退職